あれを『捨てる』ことで人生が激変した50人の証言

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45歳 男 相続した貸家の持分を放棄し、スッキリしました

十数年前に父が亡くなり、駐車場として貸している土地と貸家を相続しました。

二人兄弟で、母が既に他界していたので、2分の1ずつ相続することになりました。

駐車場は家賃を2等分すればいいので、何も問題はないのですが、貸家はもう築50年以上にもなり、家賃も4万円しか入ってこないので、私は姉に、もう解体して更地にして売却しよう、と提案しましたが、姉はこのまま持っておきたいと言うので、しぶしぶ了承してしまいました。

当時法律知識もほとんどなく、遺産分割のこともよくわからなかったので2分の1の共有名義で登記を済ませました。

貸家は私の自宅からすぐのところにあり、姉は結婚して他県に住んでいます。

やはりしばらくして貸家のあちこちにガタが出てきました。

冬に寒さで庭の水道管が破裂して水が噴き出している、と近所の人から連絡があり、すぐに水道屋さんに来てもらい、修理をしてもらいました。

また2年前は台風で屋根のトタンがめくれて怖い、とまた近所の人から連絡があり、修理してもらいました。

姉は遠くに住んでおり、いつも私のところへ来るので、正直ウンザリしていました。

そして住人が引っ越しするということで出ていかれ、一度リフォーム業者に点検してもらい、新しく貸すには最低限のリフォームが必要だと言われ、100万円かけてやりました。

知り合いの不動産会社に仲介してもらい、幸いすぐに新しい住人が決まったのはよかったのですが、毎月家賃の振り込みが遅れ、さらに家にネズミがいる、とか、窓がきちんと閉まらないために虫が入って眠れない、などの苦情を受けイライラしてしまいました。

そこで、思い切って共有名義の私の持分を放棄することにしました。

数年前から少し法律の勉強をして、こんな方法があるんだ、ということを知って知り合いの司法書士に相談し登記をしてもらいました。

しかし、父が亡くなったときにしっかり遺産分割していればよかった、と後悔しています。

最低限の法律は知っておいた方がいいな、と思いながらも、厄介な貸家を手放すことができてスッキリしました。

32歳女性 大学時代の友人を「手放す」 人間関係を整理してスッキリ

30代前半の女性です。

都内の女子大学に進学し、2010年に卒業しました。

私が手放したのは、大学時代の友人です。

卒業後にLINEでグループを作って連絡を取り合っていた友達が5人いたのですが、私はそのうちの1人がどうしても好きになれませんでした。

その対象の女の子(K)は女子大学の附属中学に入り、エスカレーターで大学に進学した子で、大学の講義や授業にあまり真面目に出席するタイプではありませんでした。

私は度々友達の代返をしましたが、私が代返をお願いすることはありませんでした。

また一番悪印象だったのは、Kがずっと浮気をしていることでした。

東大在学中の彼氏がいるとのことでしたが、彼氏の友人とずっと肉体関係があると半ば自慢するようにいっていました。

はじめはネタだと思って聞いていましたが、その話を何度か聞くうちに、不快になりKが不潔に思えてきたのです。

また友達数名で雑魚寝している時に、Kの彼氏が隣に寝てるそばで浮気相手とイチャついた話も聞きました。

そういう話を悪気なく自慢するかのように伝えるKが疎ましかったです。

卒業後はLINEで連絡を取り合っていたのですが、Kは卒業後に東大の彼氏と別れて、しばらくは彼氏がいないとのことでした。

私が「手放し」たきっかけはKからの何気ないメッセージでした。

私は3歳になる子供がおり、LINEで報告しました。

そのとき、Kは私生活が多忙のためか、ろくに祝いの言葉も連絡してきませんでした。

その後同グループで他の友達が出産した際は、その友達がKのお気に入りだったので「私、○○(友達の名前)の赤ちゃん見にいきた~~い」とノリノリのメッセージが。

私の出産時とは大きく様子が違うので、正直ショックで落ち込みました。

別にKに好かれたい、よく思われたいとは思いませんでしたが、私の話はどうでもよさそうな、Kの心情が透けてみえるようでした。

そのメッセージから数分後にLINEのグループから退会しました。

最初はK以外の友人たちとつながりがなくなる事に不安があり、寂しくもありましたが、退会後はスッキリし、自分の決断が正しかったのだと感じています。

人間関係の悩みは尽きないものですが、一緒にいても辛いだけ、嫌な思いをするだけの関係性なら、いっそ「手放す」ことも整理するうえでアリなのかな、と考えます。

41歳男、思い出の友人とレクサス!

私は41歳男性で、工場勤務をしています。

私は昔から車が好きで、これまでに何度も車を乗り換えて来ました。

若い頃はスポーツカーが流行っていたと言うこともあり、私もまたスポーツカーに乗っていました。

勿論、かなりカスタムしており、そしてまたかなりのお金を費やしました。

そして、次にワンボックスカーやミニバンが流行りだしたので、これまた私もその流行りに乗りワンボックスカーに乗り換えたのです。

それがエルグランドでした。

正直、ちょっと高かったのですが、これまた改造などをしかなりのお金を使いました。

私にとっては車が趣味のようなものでしたので、楽しかったのも事実です。

そして、それからまたいくつかの車に乗り換えたのですが、最後に友人から安く譲り受けたレクサスがあったのですが、これに思い出があったのです。

私はそのレクサスを友人が手放すと聞いた時に、まだ全然乗れるのにと思い私が買い取ったのです。

友人もそれならと言い、安くで売ってくれたのです。

そんな中、私はそのレクサスを乗っていた時一本の電話があったのです。

何とその友人が突然亡くなったのです。

私は慌てて病院へと行ったのですが、もう友人は目をつぶり息を引き取っていました。

私はその晩涙が止まらず、一晩中泣いていました。

そして、葬儀も終わり私は心の中で友人との別れを告げました。

また、私はその友人から売って貰ったレクサスに乗るのが辛かったのです。

まるでまた友人と会っているような気持ちになるからです。

そして、私はもうこのレクサスには乗れないと思い手放すことにしたのです。

あまりにも友人との思い出や思い出すので辛くて仕方なかったのです。

そして、いざ車を手放すことになった日には本当に友人との別れだと思い手放しました。

まるで今度は本当に友人とのお別れだとも思いました。

手放して初めて気持ちに整理もついたような気にもなりました。

勿論、車を手放しても友人との思い出は消えないとは思っています。

30代女性が大好きなアレを手放したら?

こんにちは、30歳代の会社員、主婦業もこなすMと申します。

私の育った家は田舎で、広い家。

とにかく一度しまいこんでしまえば何十年も放置できるので、「モノは捨てないもの」という固定観念がありました。

つまり「手放せない」家庭であり家族だったのです。

私もそこで長年育ちましたが、1人暮らしをするようになって「モノが捨てられないこと」を悩むようになりました。

だって、モノがごちゃごちゃして、思考が混乱してくるのです。

それに、新しいものが入ってくる余地もない。

ということで、私が断腸の思いで手放したものをご紹介します。

最近手放してすっきりしたもの。

それは「漫画」です!子供の頃から大好きで、家には何千冊も。

引越しのたびに、部屋にうず高く積まれ続けた本は、変色しているものもあれば、ご飯の汚れが付いているものもありました。

それでも大好きだからとずーっと手放さずに持ち続けていたのです。

ただ、何度も引越しを重ねていく中で、色々と違う思いが出てきたのです。

例えば「本当に大好きなら、綺麗な状態で保存したいなあ」というもの。

「持ち運べたらもっとラクだし、大好きな漫画がどこでも読めるなあ」というもの。

そこで私は生まれてはじめて「電子書籍」を知りました。

同じく漫画が大好きな友人が、電子書籍にしてパソコンで本やマンガを読むようにしたら、部屋が1つ空いたという話を耳にしていた頃。

これは私も挑戦してみたいなと思い、決意しました。

そう、漫画を全部古本屋に売って、(ほとんど値がつきませんでしたが)本当に読みたいものだけを電子書籍で買い直したのです。

どうなることかと思いましたが、本当に心の底からすっきりしました。

さらに、スマートフォンからいつでも呼び出して読めるので、持ち歩かずに大好きな漫画をどこでも全巻読めるようになったのです!これは感動でもありますし、新しい人生がスタートするような予感すらありました。

だって、それまで部屋を埋め尽くしてた本のところに、パートナーができたのです。

夢のような話ですが、手放したものが大きければ大きいほど、素晴らしいものが入ってくるというのは本当のこと。

ぜひお試しください。

30代子持ち主婦、カビさせていたバスマットを処分した結果は?

30代、未就学児の子ども二人の専業主婦です。

私は今年の冬からバスマットを手放しました。

私がなぜバスマットを手放そうと思ったかと言うと、まず歴代のバスマットをことごとくカビさせてしまっていたからです。

いくら高い物を使っても、我が家の脱衣所の位置がかなり日陰なので毎日日光の当たる場所までバスマットを移動させなくてはいけなかったのが面倒だったのと、梅雨の時期や冬場は日光のあたる場所に移動させてもカビさせてしまったので移動させても無駄なのかと嫌気がさしました。

また、私は洗濯物をある程度ためてからするタイプなので毎日毎日バスマットだけを洗濯するという気持ちにはとてもなれませんでした。

最初は布製のマットをやめて、珪藻土マットにしようかなと悩んだのですが、中国産の珪藻土は健康に被害が出たりしたらと思うと買えず、かといって国産だと値段もはるのでどちらも購入に至らず、しかも我が家の脱衣所は狭いので珪藻土マットをずっと置いておくのも邪魔だと思いました。

そこで、前回買ったバスマットがカビた今年の冬から思い切ってバスマットを捨て、毎日自分たちが体を拭いているタオルで足や体をを拭いてから脱衣所に出るようにしました。

始めた当初はやはり子どもたちもなかなか週間がつかず、脱衣所がびしょ濡れになったりしたのですが案外とそれを拭くのも苦にならず、足を拭いたりしてタオルがびしょ濡れになってもすぐに洗濯もでき乾くのでバスマットが乾かないというストレスもなくなりました。

それに、毎年主人が梅雨の時期になると水虫を発症していたのですが、今年の梅雨は水虫にもならず家族の健康も守れるというおまけ付きでした。

これなら前回のバスマットを買う前にさっさと手放してしまえば良かったと本当に後悔しました。

もし、私のようにバスマットを手放すか悩んでいる人がいたら、買うのはいつでもできるので捨てるタイミングで一度手放してしまうことをおすすめします。

それでやっぱり必要だと思えばまた購入を検討すればいい話なので良かったらやってみて下さい。

68歳男性 形見のフィルムカメラを思い切って手放しました

68歳の年金生活者です。

ライティングの仕事で小遣い稼ぎをしたり、趣味の写真撮影を楽しんだりしつつ、つましく暮らしています。

さて人には中々手放す事が出来ないものがいくつかあるものです。

私の場合は、その一つが父の形見のフィルムカメラです。

父は写真が趣味で当時の高級だったフィルム一眼レフの本体2台の他、多くの交換レンズを持って楽しんでいました。

もう17回忌も済ませましたが、父が残したそのフィルムカメラやレンズを形見としてもらって長く持っていましたが、2年前についに手放しました。

形見として引き継いだ当初は使用していましたが、時代はデジタルカメラの時代となり、私もデジタル一眼レフカメラを購入しました。

それ以来形見のフィルム一眼レフカメラを使う事は無くなってしまいました。

大きなカメラバッグに入れて保管し、半年か1年に1回は風を通して、レンズにカビが生えない様に注意し、大事に保管して来ました。

デジタル一眼レフカメラの交換レンズの本数が増えるに従い、フィルムカメラの保管スペースが邪魔になり、使わないのに保管だけしている事が無駄に感じ始めました。

形見ではあるけれど、思い切ってすべてを中古カメラの買取を行っているカメラ店で買取ってもらい、手放しました。

当時は非常に高価なカメラでしたが、需要が少なく、買取額は大した額ではありませんでした。

それでも新しい交換レンズを購入できる足しにはなる額でした。

父の形見のカメラが、この交換レンズに変わったのだと自分に言い聞かせ、愛用し続けています。

そのまま大事に持っているより、写真が大好きだった父なら、私が形見を手放して、それで頻繁に利用する交換レンズを購入して愛用している事を理解してくれると思っています。

歴史ある老舗企業も、その精神や理念を守りつつ、時代に合わせて新しく生まれ変わり続けているものです。

私の場合も、父が愛した写真撮影・古寺散策での写真撮影を受け継ぎ、その撮影道具を時代に合わせて変化させるため、古いフィルムカメラを手放したのです。

むしろ手放していつも使う交換レンズに姿を替えた事で、撮影時にはより父の事を思い出すようになりました。

ある意味手放してスッキリした様に感じています。

34歳女 トラブルメーカーを皆で一致団結して撃退

30代主婦です。

面倒な友人とのやりとりを手放してすっきりしました。

大人になってから趣味を通じて知り合った友人だったのですが、残念なことに、その彼女が曲者でした。

小学生じゃあるまいし、と思うようなくだらない陰口を叩いたり、それをまた、妄想を織り交ぜて他の人に吹聴したりする。

この妄想が問題で、なんとも「うまいこと」話を作るんです。

最初は私も彼女の言っていることを鵜呑みにしかけ、共通の趣味友達に対して嫌な印象を持ってしまったりしていました。

彼女の悪口に同調しないようには注意していたのですが、気がつけば彼女は「あの子も一緒に言ってたよ」なんて平気で言っている。

他の人にそれを聞かされた時にはびっくりしました。

だんだん彼女のおかしさに気づく人が周りにも増え、私も「なんかこれって…」と違和感を感じていました。

ある時、趣味の集まりのあとのランチ会に、彼女が欠席していたので、恐る恐る彼女の話題を出してみました。

すると皆「あの人おかしいよね!?」「私も思ってたー!」と一気に不満が爆発。

正直その勢いにびっくりするほどでした。

幸いオトナな人が多かったので、丸々信じている人や、一緒になって陰口妄想を言っている人はいませんでしたが(今思うと本当にそれは恵まれていました)、さすがにもう目に余るよね、ということになり。

「趣味の場を辞めろとは言わないし、そんな権限は私たちにはない。

けど嘘を言いふらしたり陰口ばかり言っている人の相手はこれ以上できません。

」…という文章を、コピーして各自が彼女に個別LINEで一斉送信。

「あ、既読になった」「こっちもー」と皆で言っている姿は、一瞬「いじわるしてるのはこっちなのでは…」という気持ちにもなりましたが、かくして全員既読スルーされ、彼女はグループLINEも自ら退会。

集まりにも一切顔を出さなくなりました。

幸いそのあとはトラブルメーカーが現れることもなく、平和に趣味を楽しんでいます。

むしろ彼女の件で皆の結束が強まったかもしれません。

面倒な人がいなくなってすごくすっきりしましたが、彼女がまた別のコミュニティで同じようなことを繰り返していないかが心配です。

41歳 女性 憧れのバイク、憧れだけでは乗れません!

 私の場合、手放したことですっきりしたのは、ハーレーダビットソン社製の大型バイクです。

 私は昔々に見たハーレーダビットソンのモーターサイクルが登場する映画に影響されてずっと乗りたいと思ってきました。

しかし、ハーレーダビットソンに乗るには大型自動二輪車の免許が必要で、おいそれと手の出せるものではありませんでした。

また、私は女性ですので、重量級の大型バイクに乗るのはそう簡単ではないと思っていました。

 結婚してしばらくしてから、ひょんなことから夫とハーレーダビットソンのディーラーに行き、実車を見ると欲しくなってきてしまいました。

お値段も、最もお手頃でコンパクトなタイプなら何とか手が届く範囲内でしたし、とてもかっこよかったので、免許もないのになんと購入してしまいました!(夫は大型二輪免許所持済)
 自動車教習所に行き、大型二輪車の免許を取るために申し込みをし、いざ教習バイクに乗ってみると、重いし大きいし、最初は大変でしたが、車体をうまくコントロールできるようになり、免許は一発で取ることが出来ました。

 いざ、免許を携えて、ハーレーダビットソンのお店にバイクを取りに行きました。

初日はさすがに怖いので夫に乗って帰ってもらいました…が、2月のその納車日。

帰り道は何と雪に見舞われました。

タイヤを滑らせながら何とか乗って帰ってきたのですが、融雪剤のせいでホイールや下回りは全て変色!
 早速洗車しましたが、その日の夜中。

突然バイクの警報機が鳴りだしました。

何をやっても収まらず、ディーラーに電話も通じず。

鳴りっぱなしで放置しましたところ、しばらくするとバッテリー切れで静かになりました。

 次の日、ディーラーへ持っていくためにエンジンをかけようとしても当然バッテリーが上がっているのでそのままではかかりません。

バイクの場合、押し掛けでかかる場合もあるので重い車体を坂の上までもっていき、飛び乗って押し掛け…してみてもタイヤがロックするだけで全くかからず。

下り坂を登って車のところまで持って上がってきてブースターケーブルを使ってエンジンをかけようとしても、火花が散るだけでかかりません。

 ハーレーのような大排気量2気筒エンジンは外側からの力でそう簡単にはかからないのです。

結局ディーラーを呼びましたが、費用請求されました。

 さらにその警報機が鳴った原因も洗車をしたから端子が腐食したと言われ、保証修理の対象にならず、費用請求されました。

さすがに納車2日目でそれはないだろうと抗議し、クレーム扱いに。

以降、同じトラブルは発生しませんでした。

 このハーレーは、他にも油漏れがあったり、燃料が漏れたり、走行中にミラーが外れたり、駐輪しているそばで化学物質の廃液が入ったドラム缶が爆発したりと、とにかくロクなことがなく、修理費用や維持費のみが異常にかかるので、2年たたずして手放しました。

 後にも先にも、これほど手がかかり、しかも製造上の不具合のようなものまで所有者の責任にされるものに出会ったことはありません。

手放して、実にすっきりしました。

 憧れだけでモーターサイクルなどを所有すると、大変な目にあうことがわかりました。

この出費や苦労を難なく受け入れられる高所得の方や理解できる方のみが所有すべきものなのだということが骨身にしみて分かりました。

44歳女性、幼馴染との縁を切ってすっきり

40代半ばの女性です。

私は自分で何かを捨てるということができない、捨てるものを選ぶのがとても苦手な人間なので、自分から手放すということがなかなかできません。

自分で決断して何かを手放したことはあったかな・・と考えてみてもなかなか思い出しませんでしたが、そういえば1回だけ、そういうことをしたことがあったのです。

それは大学生時代のこと、小学生時代の同級生A子さんから同窓会のお知らせがきたときです。

そのお知らせは実家が引っ越しの準備をしている最中に届いたので、受け取ったときは私も準備で忙しく、あまりよく読んでいませんでした。

引っ越しが終わり、落ち着いてからそのお知らせを読みました。

そこには同窓会の日時、集合場所、会費などが記されていました。

集合場所の名前に見覚えがあると思ったら、お知らせを送ってきたA子さんの実家のお店でした。

A子さんとは1年生のころから同じクラスで、一緒に登校や下校をしたり、放課後も遊ぶくらい仲がいい友達でした。

私が転校してしまってからお互いに連絡をせず会うことはなかったのですが、数年に1度のクラスの同窓会のときだけは、彼女からお知らせが来るのです。

その同窓会の集合場所は、いつもA子さんの実家のお店で、そこでみんなで食事をとります。

このA子さん、私が同窓会に参加してもとくに嬉しそうでもないのが毎回気になっていたのですが、私も他の子達と話をするのが楽しくて、A子さんの態度をあまり気にしてなかったのですが、大学生のときに送られてきた同窓会のお知らせを見ながら、あることに気づいてしまったのです。

A子さんが私に声をかけるのは、友達だからではなくただお家の売り上げのためなのでは・・と。

そうなると友達づきあいをしていたころのこともいろいろ思い出してしまい、自分がそんなふうに利用されていると考えるのはつらかったですが、引っ越してこちらの連絡先が変わったことを、あらためてA子さんに知らせようとも思えなくなってしまい、けっきょくそのまま連絡はしませんでした。

A子さんとの縁を手放したのです。

それ以降は同窓会のお知らせは来なくなりましたが、寂しいという気持ちはなくすっきりしています。

後悔はしていません。

 

34歳OL 祖父の形見の電子ピアノを寄付してすっきり

埼玉県に住む、30代女性会社員です。

祖父に買ってもらった電子ピアノを手放しました。

祖父は亡くなっており、私にとってとても大切な物でした。

小学校中学校とピアノのレッスンを受けており、
電子ピアノでは物足りなってきました。

高校生の時、親に無理を言って、アップライトピアノを買ってもらいました。

狭い実家に電子ピアノとアップライトピアノの両方がある状態が10年以上続きました。

どちらも誰も使っていませんでした。

30代になり、仕事の都合で遠方へ引っ越すことになりました。

本当に大事な荷物のみを残し、あとは処分することに決めました。

家族で相談した結果、
ピアノ2台のうち、電子ピアノを手放すことにしました。

綺麗な状態だったことと遺品であることを理由に、
誰か大切に使ってくれる人に譲りたいと思いました。

子供のいる知り合いや、保育園等電子ピアノを必要そうな所に連絡を取りました。

知り合いの保育士さんが勤める
市内の公立保育所が寄付を受け入れてくれることになりました。

当日、ワゴン車で自宅から保育所へ電子ピアノを運びました。

引き渡した時は、なんともいえない寂しい気持ちでした。

物というよりは、亡くなった祖父がまた遠くに行ってしまう
ような感覚でした。

最後に、記念に携帯で写メを撮りました。

これからも、この保育園で使われ続けるのと、元気な園児の姿を見て、この子たちの為になるならという、しみじみとした喜びがありました。

何も後悔はありませんでした。

寄付して良かったです。

これからも大切に使って頂ける寄付先が見つかったことがとてもラッキーでした。

手放すか手放さないか数年にわたり迷っていました。

始めは、お金を払ってまで処分することに抵抗がありました。

仕事の都合で遠方へ引っ越さなくてはならないという事情に迫られたおかkげで、本気で手放すことを考え、寄付や売るなど色々な方法があったことに気づきました。

もっと早くに情報を集めて手放していたら、尚良かったと思います。

新しい場所での新しい小場で新たなスタートを切るという新鮮な気持ちになりました。

私が、10年間かけて、やっと手離せたもの 56歳女性

はじめまして。

主婦歴30年、最近やっと自由時間が出来だして、ただいまジム通いにはまってます。

そんな私が、手放してスッキリ!した経験とは・・・実は亡き主人との思い出の数々の品物です。

こう書くと、いかにも冷たい人間のようですが、そうではなくて、あまりにも主人が大好きだった私は、病気で亡くなった主人の死が受け入れられず、生前主人が使っていた品物を、処分できずに・・(要は、現実を受け入れられてなかったのだと思いますが・・)そんな月日が流れ、流れて10年程。

でも、自分の心に変化が現れたのは、いつまでも、いつまでも、主人の死を嘆いてる私に、ある日、息子が言ったせりふでした。

「お母さん、少しはお父さんの身になってあげたら?あんまり、泣いてばかりおったら、お父さん成仏でけへんで!」・・そうか・・言われてみれば確かにそうだ!もし、自分が逆の立場だったら・・この世に生き残ってるのが、逆に主人だったら・・いつまでも泣かれてたって、困るばかりだなあ、成仏したくてもできないなあと。

そう思えたら、なんだか、ちょっとばかり心の中が整理がついたような気がして。

10年近く泣き暮らしていた私が、主人のものを整理してみようと、やってみたら、意外にも、処分できたんです。

あれだけ手離すことができなかったのに!やってるうちに、だんだんと心が軽くなっていく感覚は、本当に忘れられません。

それと同時に、前向きな気持ちになれたのも、本当に不思議でした。

後悔するとしたら・・泣いていた期間があまりにも、長すぎたのかもしれません。

いや、泣くだけ泣いたから・・・気持ちの整理もついたのかもしれません。

大切な主人よの思い出の写真だけ、何枚か手元の残してあるので、もう、今はそれで、充分です。

同じような体験の方がいれば、アドバイスとして言えるのは、とことん泣きつくす!で、あとは、亡くなった大切な人に心配かけないように、自分の心と一緒に整理していく、ということでしょうか。

きっと泣き主人もホッとしてくれたと、今は思えます。

物を整理するって、きっと心を整理するんですね。

この体験が、どなたかのお役に立てれば幸いです。

50歳女 卒業アルバムを処分 トラウマも消えた

愛知県に住む50歳の主婦です。

結婚して25年、子供は成人して家を出ていきました。

夫は60歳、定年を迎え再雇用されました。

二人で老い支度にとりかかる時期になり、家じゅうの物を見直し、捨てるものは捨てていく作業をコツコツとしているところです。

3ヶ月ほど前、2019年の5月頃、思い切って”卒業アルバム”を処分しました。

処分の方法は、資源ごみセンターへの持ち込みです。

束にしてロープでくくり、そのまま置いてきました。

幼稚園から小学校、中学、高校全てのアルバムです。

クローゼットの隅でスペースをとっていましたが、捨てるということが考えられずにずっと保存していました。

捨てようと思ったきっかけになったのは1年ほど前のことです。

インターネットのSNSで再会した高校の同級生数人と32年ぶりに再会することになりました。

皆で私の家に遊びに来たのです。

そこで私が卒業アルバムを出したところ、驚かれました。

「物持ちがいいね」と
私は当然持っているべきものだと思っていたのですが、私の友達の内では保管しているほうが珍しいのだとそのとき知りました。

皆でワイワイとアルバムを眺めて、思い出話に花が咲きました。

ですが、出てくるのは思い出したくない記憶ばかりだったのです。

そうだ私は学生時代の辛い記憶は無意識のうちに葬っていたのだと。

改めてアルバムを開いてみると、記憶の底に沈めていたものが鮮明に浮かび上がってきてしまいました。

このまま卒業アルバムを持っていても、何も良いことはないのではないかと気づいたのです。

中学校、小学校、幼稚園でも、もちろん悪い思い出ばかりではないのですが、見なければ思い出さないで済んでいることを見れば思い出してしまうのです。

それでも、卒業アルバムを捨てることについての罪悪感はありました。

でも、同級生の友人がだれ一人卒業アルバムを保管していないということで、私の意識が変わりました。

持っていなくてもいいんだなと。

後悔していることがあるとすれば、自分が写っている部分だけでもスキャンしておけばよかったのかなと今でも思いますが、なくても大丈夫、何も問題は生じていません。

この文を読んでくださっている人の中で、卒業アルバムを捨てようか迷っている方がいるとしたら、迷わず捨てても構いませんと言いたいです。

卒業アルバムを見るのが楽しくていい思い出しか浮かばないというのであれば、取っておいてもいいかもしれませんが、場所をとる、嫌な思い出がよみがえるというなら、捨てて構わないのです。

40歳女性が一念発起してシンプルライフを目指すようになったきっかけ

40歳の主婦です。

元々、私も夫も物を捨てられない性質で、自宅には物が溢れかえっていました。

整理整頓は嫌いではないので、できるだけスッキリ収まるように努力はしていたものの、収納キャパを大きく超える物の数が気になりながらも手付かずなまま暮らしていました。

そんな生活を見直すきっかけは、今春、親友のお父様が亡くなられたことでした。

お母様は長年施設に入所されているため、お父様亡き後、誰も住む人がいなくなった親友の実家を片付けなければならないということになり、私も片づけのお手伝いで同行することになりました。

車で2時間かかるご実家に向かう際に、友人は「とにかく荷物が多い家だから、、一人じゃ絶対無理。

手伝ってもらえるのが本当にありがたいけど、きっとびっくりするよ」と何度も話していました。

そうはいっても2人いればなんとかなるだろうと高をくくっていた私は、ご実家に到着して茫然としてしまいました。

想像を絶する物の多さ。

子どもは20年以上前に独立しているのに、大家族かと思うほどの食器や洋服の数、置物、寝具、子ども部屋も昭和にタイムスリップしたかのような、昔のままの状態。

その一方で必要な書類を探そうとしてもなかなか必要なものが出てこないのです。

親友も私も時間は限られていたので、なんとか必要なものを必死に探し出すのが精いっぱい。

とうとう親友は「探したい思い出のものもあったけど、もう無理。

専門の業者さんに処分を頼むわ」と言い出し、結果、ご実家の荷物は一切合切、業者に処分を依頼することになりました。

親友が少し落ち着いた頃、2人でしみじみ話したのは「本当に必要で大切なものを厳選してシンプルに暮らさないと、自分たちも将来同じ状況になるね」ということでした。

そこから私も重い腰をあげることになりました。

とはいえ何から手を付けたらよいのかわかりません。

インターネットで色々検索して、お片付けの専門家の先生に出張サービスにきてもらい、アドバイスをしてもらいながら物の仕分けと処分のアドバイスをしてもらいました。

フリマアプリにも登録したり、リサイクルショップも活用して、できるだけ必要な人に使っていただけるように努力もしました。

すると、家だけではなく気持ちもスッキリし、なんだか自分も生まれ変わったような気分になりました。

これからも本当に必要な物だけを購入し、スッキリとシンプルに暮らしていきたいと思います。

42歳女・実家を手放してスッキリ

我が家は祖父の代から80年近く同じ場所・同じ家に住み続けていました。

自営業で仕事場も敷地内に有った為、物や人の移動が極端に少なく不用品が家のそこかしこに年輪のように積み重なっている有様でした。

これらを手放すきっかけは10年程前にさかのぼります。

父が不慮の事故に遭って頸椎を損傷しリハビリをしても体に障害が残ると担当医から告げられました。

我が家の家業は重い材料を運ぶ事が主流だったのでやむを得ず廃業する事にしたのです。

それに伴い実家を処分し父の療養に適した自然豊かな場所へ引っ越そうと家族で話し合い決めました。

決断したのは良いものの近くに住む親せき達は一様に廃業と実家の売却に猛反対しました。

とても彼らに引っ越しの手伝いをお願いするわけにもいかずこれから家をどう整理するか途方に暮れたことも有りました。

我が家は父以外に男手が無く実働できる家族は母と私の二人だけです。

そんな私達を見かねて友人知人が家の整理を手伝ってくれたり大型家具の運び出しを買って出てくれたりとあれこれ気遣ってくれました。

ただやみくもに家をきれいにすると士気が下がるので父がリハビリ病院から退院する半年後に実家の売却する事を目標にして頑張りました。

またこれから田舎へ移住するので運転免許を取るべくアラサーながら自動車学校へ通い始めました。

その上父が快適に生活できるよう新居の準備もしなければいけません。

新居の所在地は実家から車で約2時間の県外です。

役場の福祉課の人にお世話になりながら新居の住宅改修の段取りも付けました。

午前中は自動車学校、午後から家の片付けや役所への届け出、夕方は父の見舞いにと目まぐるしく毎日が過ぎていきます。

あっという間に父の退院の日になりました。

友人知人の尽力のお蔭で何とか引っ越しまで漕ぎ着けあれだけ物が多かった家の中もスッキリときれいになりました。

そして引っ越ししてから1年後、良いご縁があり実家を売却する事もでき心底ホッとしました。

ただ一つ気に掛かっているのは目の前の不用品を片付けるのに精一杯で家族の思い出を何もかも処分してしまった事です。

祖父母が撮り貯めた数十冊のアルバムを1冊にまとめたので2人には少し申し訳ないなと思っています。

それでもこういう機会が無ければ実家の処分に将来的に悩まされるのは明白です。

体力と気力が有るうちに実家を処分出来て本当に良かったと思っています。

30歳、女性 前の彼からもらったプレゼントをやっと処分したこと

現在は、専業主婦です。

30歳の頃のはなしです。

結婚する前に、前の彼からもらったプレゼントをずっと処分出来ずにいました。

やはり思い出と言うこともあり、なかなか捨てられずにいました。

自分では、きちんと気持ちは切り替えていたと思っていましたが、前の彼からもらったものをどうしてだか、捨てれませんでした。

別に未練があった訳ではないと思います。

でも、処分することなく、使う訳ではなかったのですが手元に置いていました。

よく別れたらすぐに彼から貰ったものは、売ったり、捨てたりするとか周りから聞いていたのですか、自分はなかなか決心がつきませんでした。

今思うと、未練があったのかも知れないなと思います。

でも、あの頃はそれも認めたくないというか、そういう気持ちだったのかもしれません。

あるときふと、もらったプレゼントを処分できる気持ちになりました。

時間がたったから、気持ちの整理が出来たのかもしれません。

わざわざ、無理して早くに処分しなければと焦る必要はなかったんだと思います。

きちんと気持ちの整理が出来てから、捨てたり売ったりすればいいんだと。

なかなか捨てられずにいた、自分にどこか嫌な気持ちがありました。

でも、無理に捨てたりしても、気持ちの整理が出来てなければ意味がないと思います。

あのときには意味がよくわかりませんでしたが、きちんと気持ちの切り替えが出来なかっただけで、きちんと気持ちが落ち着けば、自然とためらいもなく捨てれました。

思い出だからとか、言い訳していただけたったんだなと思います。

自分の性格的には、さっぱりとした方だと思っていました。

しかし、思っていたよりもいじいじしたり、すごくネガティブなんだなとすごく感じました。

自分でも知らない部分があることに少しビックリもしています。

なかなか捨てられずにいた自分にがっかりしたりもしましたが、時間が解決してくれるまで、ゆっくり考えたりするのもいいと思います。

40代 女 物に支配されない生活で気持ちまでスッキリ

私はアラフィフ世代の女性です。

今まで独身で自由気ままに生活してきました。

世の中は「断捨離ブーム」や「終活ブーム」とかで盛り上がる度に私は乗っかってしまいます。

高価格帯のブランド物が主流だったバブルの名残りの時も
プチプラ品が流行しだした最近も
ブームが来れば一度は乗っかってみたい性格みたいです。

そんな私の独身生活だから、お金は「物を買う」ことがメインになって
部屋中が物で溢れかえっている状態。

もともと、外見をキレイに見せるのが好きだったから洋服もコスメも靴やバックもたくさん。

おひとり様もいいけれど「終活」を考えた時
残された家族が困らないようにしたいと思いました。

そしてその頃と同時期に部屋がゴチャゴチャしているように感じたんです。

よく気持ちの乱れが服装や家の状態に表れるといいますが、まさにそれです。

物に満たされているような気がしたけど
それは気のせいなんじゃないか?と思ってまず洋服を捨てました。

ミニマリストまではいかないけど必要でない物は全部処分して気づいたのは
洋服は少ない方が着回しを考えやすいという点です。

そうなると、バックや靴も同じでは?と思い靴もシューズ棚に収まるくらいにまで処分。

バックも5つまでしぼって他は処分しました。

部屋もスッキリ、収納スペースもスッキリして気分が良かったので
次はコスメも断捨離しました。

意外と使ってないまま5年経ってたり、予備で買った物がそのままだったり
「いらない物」にお金を使ってしまった事を反省しつつ
ポカポカ捨てはじめたら、コスメケースもスッキリです。

その調子で、文房具や下着、靴下なんかも選別し始めて処分したら
自分に必要のない物にどれだけ支配されていたのか丸わかりでした。

収納スペースに余裕がある=スッキリする=気持ちにも余裕がある
そんな感じで気持ちよく生活できるようになりました。

スマホのアプリや連絡を取ってない人のアドレスも消しました。

手放して後悔している事は何一つないです。

逆にもっと早く気づけば良かったと思うくらい。

満たされると思っていた物は全て邪魔で不要な物だったんです。

必要な物だけに囲まれる生活って気持ちいいですよ。

34歳女 部屋の不要物を処分 新しい生活に

私は30代女性です。

現在は会社員をしています。

数年かけて少しずつ、溜めるに溜め込んだ不用品を処分しました。

学生時代の延長のような、どことなく停滞した空気が漂う部屋に嫌気がさしたからです。

まず、大学時代の教科書と学術書を全部処分しました。

風景の一部と化していたため、そのままにしておくことに何の疑問も感じていませんでした。

また、捨てると学生時代の実績をそのまま捨ててしまうのではないかという不安と、高かった学術書を捨てるともったいないのではという不安があったため、処分できなかったのです。

しかし、卒業してから一度もその本を開いたことはありませんでした。

ただ、埃を被ってそこにあるだけでした。

リサイクルボックスに全部持っていき、キャビネットを空にしたときは本当にすっきりし、憑き物が取れたような気分になったのを覚えています。

キャビネットも不要になり、部屋が広くなりました。

次に、押入れには高校時代の分厚いスクラップ帳や、当時の宝物を入れた箱を処分しました。

大してスペースをとらないと判断し、未練がましく残していましたが、ある日もう残しておかなくてもいいかなと考え、全部ゴミに出しました。

今までなぜ捨てなかったのだろうと不思議に思います。

最後に、もう読まない本を処分しました。

大して思い入れのない本、学生時代に読んでいた本です。

いずれもカバーを外してよれよれになったり、読まないため埃を被っていたりしました。

本を捨てるということは、かつて好きだったジャンルの本との決別を意味するものかもしれません。

捨てた本の中に、ある文豪の本もありました。

作風や考え方が好きで、その文豪の本ばかり読み漁っていた時期がありましたが、ある程度年齢を重ね、自分の価値観が変わると、その文豪の作品を良いと思わなくなったのです。

本を捨てると、本棚にはスペースができ、新たに興味を持ったジャンルの本が並ぶようになりました。

本は持ち主の頭の中を表すとよく言われますが、もう読まない本が本棚にあると、新しい情報が自分に届かなくなると思います。

物を処分することは、過去の自分にある程度別れを告げ、この先の人生に向かうという決意表明のようなものです。

数多くの思い出を取っておいても、自分の今後の人生に影響を与えることはほぼありません。

むしろ、思い出の品が多ければ多いほど、思い出の中に立ち止まってしまうのではないかと思っています。

35歳男 テレビを手放して部屋も心もスッキリした

現在子供なし夫婦、猫2匹家族でテラスハウスに住んでいます。

今年から少しずつ物を減らした生活空間を目指して日々奮闘しています。

今回紹介したい手放してすっきりした物はテレビです。

時代の流れから、デジタル放送を見る機会は激減。

必要な情報はほとんどスマホやユーチューブで得ることが可能です。

しかし全くテレビを使わないわけでもなく、映画鑑賞やテレビゲーム、それこそユーチューブをテレビで見る機会はありました。

ただそれだけのためにテレビを置いていることに自分はもどかしさがありました。

そこで考えたのがプロジェクターの導入。

今では手軽に家庭用ホームプロジェクターが手に入る上、テレビと違い場所も取らない。

さらにテレビよりも大きなスクリーンを壁一面に映せるわけです。

善は急げと早速プロジェクターを購入。

それと同時にテレビとテレビ台はリサイクルショップに引き取ってもらいました。

その後、家に帰ってテレビのないリビングを改めて見た時、なんとも言えない解放感がありました。

テレビってそこにあるだけでこんなに部屋を圧迫していたんだなと…。

実際にテレビを手放して大正解でした。

部屋はより広くなり、プロジェクターによる大きなスクリーンで見る映画は圧巻です。

生活がより充実した手応えを感じました。

しかし…テレビを手放してプロジェクターを導入してから数日経って感じたのは、あくまでプロジェクターはおまけみたいなものであったということ。

映画もゲームもユーチューブも、すべてスマホがあれば可能です。

あくまでプロジェクターはより贅沢な気持ちを与えてくれるキッカケにしか過ぎませんでした。

そんな事より、テレビを手放して部屋がスッキリしたことで気持ちが解放されて心もスッキリしたという事、これが一番嬉しかったんだと気付きました。

もし、デジタル放送をほとんど見ないのにテレビを所持しているという方がいるのなら、ぜひ一度手放してみてください。

より部屋が広くなった感動があなたを待っています。

31歳 女性 彼氏との別れで学んだ事

私は、3年半付き合っていた彼氏がいました。

初めての彼氏と言うこともあり、付き合っている間は本当に幸せで、結婚も考えていました。

そして、その彼氏からペアリングをもらっていたので、肌身離さず付けていました。

ですが、私は、彼氏との結婚を考えていたのですが、彼氏はまだまだ結婚なんて考えられないということで、話が合わず結局は別れることになりました。

私自身、嫌いになって別れたわけでは無いので、心残りもあり、もらったペアリングは記念に自分の手元に置いておこうかと考えました。

ですが、私自身が前に進むためには元彼との事を考えてしまうより、手元から無くして、新しい道を進めるようにした方が良いだろうなと考えるようになりました。

そこで、捨てるのは気が引けるしどうしようかと思い、元彼に返すことにしました。

元彼とは、別れた後も連絡は取り合っていたので、ご飯に一緒に行く話を作り、そこで食事をした後に今までありがとうというプレゼントを渡すという名目で袋を渡し、その中にペアリングも入れて渡しました。

私の中で、もうそのペアリングを返したことで今後一切会わないようにしようという気持もあり、プレゼントを渡してお互いの家に帰るために別れた後、私は、電車に乗ったのですが、電車の中で大泣きしてしまいました。

自分が決めた決断ではありますが、もう彼氏に会えないということを考えると、やっぱりペアリングはもう少し手元に置いておいた方が良かったのかななどと後悔してしまいました。

ですが、手元から無くして、彼氏との思い出がそばに無くなったことで、今までの未練が無くなり、新しい道を進む勇気がもらえました。

やはり、思いでの物がそばにあるというのは、自分の気持ちが揺らいでしまいます。

本当に、次の道に進みたいと思うのであれば、思い出は大切に取っておくのでは無く、自分の元からは遠ざけ、気持ちを新たにすることは大切なことだなと、今回の別れで感じました。

35歳 女性 結婚に踏み切れない元彼との同棲解消

私は35歳の既婚女性です。

私は、約2年前にお付き合いをしていたある男性と同棲をしていました。

同棲を始めたのは、お付き合いを始めてから2年ほど経ってからです。

もともと私たちは婚活で出会ったので、私はその人と将来結婚することを前提にお付き合いをしていました。

お互いそれぞれ一人暮らしをしていましたが、私は年齢が30代前半だったので、できるだけ早く結婚したいと心の中で思っていました。

ですが、なかなか結婚の話が彼の方から出る事はなく、彼が借りているアパートの契約更新のタイミングで、私の方から結婚に向けて同棲しない?という話に持っていきました。

その後、無事に同棲をすることができ、約1年ほど同棲をしました。

その期間に、今まで知らなかったお互いのいろいろな面を見ることができ、一緒に居て楽しいこともありましたが、お互いの違いを知ることがたくさんあり、たくさんぶつかり合いもしました。

ですがこれから結婚を考えている私たちにとっては、ぶつかることも大切だと私は考えていました。

ただ、やはり彼の方から結婚について話を切り出してくることはなく、同棲をしている間に、私の方からしびれを切らして結婚について思い切って聞くと言うことが何回かありました。

その度に、何かと言い訳をつけて結婚について踏み切れないと言うような話を彼からされました。

毎回、険悪な雰囲気になり、私はどんどんその彼と本当にこれから先も人生を共にしていいのか悩み始めました。

ですが、一緒に暮らしているとどうしても相手に情がわき、やっぱりどうしてもこの人が良いのではないかと言う気持ちにもなり、とても悩みました。

相手に対して気になるところがたくさんありましたが、夫婦になるのであればそういうところも受け入れていく必要があるのではないかなと言うふうに何度も悩みました。

ですが、いつまで同棲を続けていれば本当に結婚の話に至るのか分からなく、私も年齢的に妊娠出産も希望していたので不安な面があり、同棲だけがダラダラと長引くの違う!というように考え始めました。

そこで、同棲をしてから1年ほど経った時に、また私の方から彼に今後のことをについて話し合おうと切り出しました。

そこでもやはり前向きな話し合いにはならず、結果的に、もう同棲は終りにしようと言う話になってしまいました。

その時は本当にそれでいいのかどうか間違っているのではないかととても悩み、毎日悲しい気持ちでいましたが、次に進むためには悩んでばかりもいられないと思い、私の方から先に新しい物件を探し始め、すぐに引っ越しをする計画を立てて、出来るだけ早く同棲を解消しようと思いました。

同棲を解消し、一人暮らしに戻った後は、本当に毎日が寂しくて一人でいることがとても苦痛に感じました。

何度もまた彼と連絡を取りたい気持ちになり、その気持ちを抑えるのに必死でした。

ですが、その気持ちも時間の経過とともに少しずつ落ち着いていき、一切連絡を取らなくなると気持ちも徐々に前向きになることができました。

数ヶ月後には、新しい男性とご縁が良い出会いに巡り会うことができました。

その方は、一見、私のタイプではありませんでしたが、同棲をしていた前の彼とは正反対のタイプでした。

私にとても優しく、付き合う前から結婚についても前向きに考えてくれている気持ちが伝わり、私はその男性と付き合ってみることにしました。

自分のタイプではなかったにもかかわらず、毎日、一緒にいて癒されました。

そして、私たちはあっという間に結婚の話へと進み、無事にゴールインすることができました。

同棲を解消してから新しい人と出会い、結婚するまで1年未満でした。

本当に出会いにはご縁やタイミングというものがあるんだなと思いました。

以前の彼と同棲していたあの時、いつまでも情に流されてダラダラとお付き合いを続けなくて本当に良かったなと今では思っています。

何か違うと本心が言っている時は、とても勇気はいりますが、思い切ってその状況を手放すことは本当に大切なんだということを身をもって経験しました。

33歳 男 古本の宅配買取をして部屋も気持ちもすっきりしました

 33歳の男です。

私の実家の六畳の部屋は、私が生まれてから33年間収集した漫画、本、雑誌などが布団以外の場所に縦に積み上がり、足の踏み場所がなくなっている状態でした。

その部屋にいると、私は、漫画、本、雑誌などに圧迫され、気が重くなっていました。

 私は、子供部屋おじさんという言葉を知り、自分も実家にずっと住みながら学生時代や就職をしているので、自分のその定義に当てはまるので、少し恥ずかしく思いました。

だから、私はもう少し貯金が溜まったら、一人暮らしをしようと考えました。

そこで、もし私が一人暮らしをし始めたら、私の実家の六畳の部屋にある漫画、本、雑誌などをどうするかを考えると、そのまま置いておくというのは両親に悪いと思い、また、私が一人暮らしをし始める部屋は私はあまり経済的に余裕が無いので、値段の安い物件を借りる予定なので、おそらく部屋のスペースは狭いだろうと予想し、私の実家の六畳の部屋にある大量の漫画、本、雑誌などを全て持っていくことは出来ないと考えました。

そして、私は、私の実家の六畳の部屋にある大量の漫画、本、雑誌を処分しようと考え、令和元年の6月からブックオフの宅配買取サービスを利用し始めました。

 ブックオフの宅配買取サービスを利用し、ブックオフの宅配買取専用段ボールに、私の実家の六畳の部屋にある大量の漫画、本、雑誌を詰め込み、合計10個分の段ボールになりました。

そしてそれを、業者さんに引き取りに来てもらい、それらを引き渡すと、私の見間違えるようにキレイになりました。

足の踏み場ができ、かつ、部屋のすみずみまでを見張らせるので、大量の漫画、本、雑誌などに圧迫されることが無くなり、気持ちが晴れ晴れとすっきりしました。

 ブックオフの宅配買取サービスで、私の実家の六畳の部屋にある大量の漫画、本、雑誌を処分した時、そこには、市場で高価値のある商品が多数ありました。

ブックオフの査定では、あまり高い金額では買い取ってもらえないので、そのことは後悔しています。

 宅配買取サービスを利用するときは、勢いで片っ端から全部処分することなく、市場で高価値のある商品をあらかじめチェックしておき、それらは宅配買取サービスで処分しないようにした方が良いと思います。

46歳女 カッコつけるのをやめる 人間関係がサクサク

私は、40代半ばの女性です。

自分に自信を持つのが難しい性格で、いつもどうやったら自分を良く見せることができるかと考えていました。

そんな私が一番力を入れていたこと。

それは自分を賢く見せることでした。

見栄とは少々異なるこの感情は、実際に勉強が苦手だった私が一番見られたくない「馬鹿」を隠すためのものでした。

馬鹿だと、他者から見下される、相手にされない、なめられる。

そんな思い込みがあったのです。

事実、見下されることが多かったので、その原因を、「自分が馬鹿に見られる」ということにしていたのでしょう。

賢く見えるファッション、ヘアスタイルを心掛け、言葉づかいに注意する日々。

もちろん、たくさん勉強もしましたし、自己啓発本もいっぱい読みました。

でも、私の状況は全く変わることがありませんでした。

ある日、私はぼんやりと考えたのです。

「どうして馬鹿だとだめなんだろう。

馬鹿だと本当に見下されるんだろうか」すると、なんだかおかしくなってきました。

そこに、決定的な因果関係があるとは言えなかったからです。

このとき、私の中で何かがはじけ、決めたのです。

「賢く見せようとする気持ちを手放そう」と。

馬鹿丸出しで生きて行こう。

そう思った瞬間、意外にも私の状況が変化してきました。

いつのまにか、面白い人というイメージが付き、人がたくさん寄ってくるようになりました。

馬鹿でも仕事を頑張ることができます。

私は、飾らずありのままで人にも仕事にも向き合うようになりました。

馬鹿なので、謙虚。

馬鹿なので、人一倍頑張れます。

肩の力が抜けていて、効率よく行動することができるようになりました。

もっと早くカッコつける癖をやめれば良かったと思います。

馬鹿であっても、生きていけるんです。

もし、今あなたが誰かに見下されていると思っていて、それが馬鹿だからだと思っているなら、それは事実ではないかもしれません。

あるいは、馬鹿で見下されていたとしても、馬鹿のままで、きることを負けないようにやればいい。

私は、そんな風に思っています。

40代女、不用品回収で部屋も気持ちもスッキリ

人から貰ったプレゼントを処分しました。

プレゼントって、貰うのは嬉しいけれど、プレゼントが好みじゃない物もありますよね。

でも、捨てるのは申し訳ないような気分になり、家にあるけれど箱から出すこともなくそのまま。

元カレのプレゼントは思いでもあるし、アクセサリーなど高価なものは処分するのに躊躇していました。

でも、不要なものが増えて収納スペースが少なくなったので、思い切って処分しました。

メルカリでコツコツ出品するのは手間と時間がかかるので、不用品の出張買取を依頼しました。

訪問日時を業者と相談して決め、当日までに処分したいものを部屋の隅にまとめておきました。

査定金額はあまり高くなかったけれど、すぐに買取してもらえて部屋もスッキリしました。

不要なものがなくなり、部屋も広くなりました。

部屋がスッキリしたら、部屋の掃除もとても楽になりました。

部屋が広くキレイになったので、家で過ごす時間が心地いい時間に変わりました。

今までは、部屋にいると物の多さにうんざりして、片付けなきゃとストレスになっていたのですが、不要なものを処分したら、気持ちもスッキリしました。

貰ったけど、好みじゃない物は使う気になれないし、収納スペースを占領するだけですよね。

使わずにしまっているよりも、使ってもらえたほうが品物も嬉しいと思います。

プレゼントをくれた人に手放したことを伝える必要はないので、貰ったときにきちんと感謝を伝えて、使わない物は欲しい人にあげるのがいいと思います。

家の中に置いておいてそのままにしていると、それがストレスになってしまいます。

一度思い切って不要なものは手放すと、気持ちがとても楽になります。

処分してみると、なくなってて困る事ってないんですよね。

もともと使っていないし。

貰ったけれど、使い道のないものや、元カレの思い出の品など使う際に辛い気持ちになるものは、一度手放してみましょう。

すごくスッキリするのでオススメです。

52歳男 乗車頻度が少なくなった自家用車を処分

長年、通勤だったので、自家用車を持っていました。

通勤で乗るため、車検や1年点検等は全て、ディーラーで行なっていました。

メーカーはホンダ社です。

ディーラーが徒歩圏内だったので、ずっと、ホンダの車を購入していました。

勤務先が変わり、電車通勤になった為に、私は日頃、車に乗ることが無くなりました。

週末はスポーツジムや他のことで時間を過ごしていたので、週末も乗っていませんでした。

車に乗らないことは、車にとって良くないことは分かっていたのです。

理由はバッテリ上がりを起こしてしまうからです。

仕事で乗っていた時に、ライトをつけっぱなしで、バッテリ上がりを起こした経験も2回程あり、困った時の為に、JAFにはずっと入っていました。

家内は専業主婦だったので、平日に少しは乗ってと頼んだのですが、マンション内の駐車場が横6台、縦5台の車を駐車できる機械式駐車場だった為に、結局、乗りたがりませんでした。

横幅がドアミラーを折りたたまないと、駐車場の金属の柱に当たってしまう、横幅をきちっとタイヤを溝状になったタイヤスペースに合わせないといけないからです。

駐車スペースから車を出す方はまだ楽で、ある程度、真っすぐ車の頭を出した後、前のマンションの柱に当たらない様にすれば出せるからです。

駐車場に入れる方はちょっとしたコツがあって、毎日乗っているうちにコツを掴めるのですが、嫌がりました。

一軒家で敷地内に駐車スペースがあるのなら、30分ほどエンジンのつけっぱなし状態を月1回程度行なっておけば良かったのですが、マンションの機械式駐車場なのでその様な行為は迷惑になるのでできませんでした。

結局、定期点検で、バッテリ上がりを起こして、ディーラーに来て頂く結果になりました。

ずっと、1年点検も含め車検を全てお任せしていたので、ディーラーに話をすると、車はまだ数年乗った程度で、丁寧に乗っていたお陰で、
1. 下取り30万円で売れること
2. ディーラーにも予約すればレンタカー利用サービスがあること、
3. 車の任意保険は無事故がずっと続いているので、一番割引の良い状態になっているため、保険会社を解約するのではなく、休止の様な状態にしておくのが良い。

再度、購入になった際、今のグレードの保険料金で済む。

休止できる期間には限度のリミットはあるが数年は大丈夫なのでその方が得であること
という内容を教えてもらい、結局、半年程検討しましたが、手放しました。

今は、車は保有していない状態なので、税金、維持メンテナンス料金、車検費用、任意保険等の支出を抑えることができました。

現在は車のレンタルサービスが各社色々とある上、オリックス社のシェアカーサービスの様なまであるので、乗る頻度が少なければ、別に不自由はしていません。

むしろ、支出を抑えることができて、正解だったのではと思っています。

30代女 ずっと気になっていたマグカップを処分してすっきり!

現在30代の主婦です。

今年で結婚して3年が経つのですが、ずーっと家の中にあるもので、処分したいなと思っていたものがありました。

それは主人の友人からいただいたマグカップのセットです。

実用的なものだから使用すればいいのでは?と思われるかもしれませんが、このマグカップがかなり特徴的な品物で、なかなか日常的に使用できないデザインでした。

取っ手がなんと工具の形になっていて、まず持ちにくいという点が一つ。

そして、妙に重みがあって、気軽に使えるマグカップではないという理由もありました。

見た目に特徴的なデザインなので、飾っておけばいいのかなと思いましたが、住んでいる家は狭く、インテリアとして飾るスペースがありませんでした。

主人も使わないから閉まっておけばいいというので、ずっとそのままにしていました。

ただ、二人での生活がスタートしてから、少しずつ食器も増え、食器棚の奥に置いていたお祝いのマグカップが邪魔になってきました。

元から私はどちらかというとミニマリストの気質があり、使っていないものは捨てればいいという考えでした。

ただ、結婚して主人がいただいたお祝いの品物だからという思いがあり、なかなか処分できずにいました。

たぶんそれほど高価なものではないので、捨ててしまっても後悔は全然ないと思うのですが、人からいただいたという事実があり、ずっと放置していました。

でも、いい加減処分してしまいたいという気持ちが募り、結婚して3年経ちようやく主人に処分していいか確認することができました。

処分と言っても、全く使っていないものを捨てるのはもったいないと思ったので、メルカリで出品することにしました。

付けた価格も安かったのか、すぐに買い手が付きました。

ずっと気になっていたものがなくなり、すっきりとした気持ちになりました。

今回は、主人も何も思い入れがないものだったので、すんなり処分することができました。

特に時間を置いたということも良かったのかもしれません。

確認した時には「そんなのあったね」という態度を取られたので、彼自身も忘れていたようです。

夫の持っているもので、捨てたいなと思うものがあれば、忘れた頃に話をするとよいのかもしれません(笑)

52歳 女 「いつか使うもの」を手放してすっきり!

私は52歳の主婦です。

2年前までデザインや店舗スタッフ等の仕事をしていました。

退職後、家にいる時間ができたので、以前から気になっていた物について処分を検討することにしました。

忙しいと「物」のひとつひとつについて真剣に考えることことが面倒。

「とりあえず取っておこう」を連発していった結果、物が溢れてゆくことに・・・。

シンプルな生活を目指したい私にとって、何が必要で何が不要か、とことん考えました。

その結果、「思い出の品(アルバムやCD等)」は捨ててしまうと再生できないので、取っておく。

「いつか使うだろう」という未来に向けて取っておいたものは捨てる。

というボーダーラインを作ることにしました。

その目線で仕訳を行っていくと・・・
・いつかちょっとしたパーティー等があった時に着ようと思っていた服→(実際、この年齢になって、ちょっとしたパーティーなどそうそうない)
・いつかコーディネートの参考にもう一度見ようと思っていたファッション雑誌→(流行がどんどん変わるので、昔の雑誌を参考にすることなどほぼない)
・いつか整理に使おうと思っていたかわいい空き箱→(入れる物のあてもなく取っておいても、サイズが合わず実際には使わない)
・いつかサブバックとして使うかもしれないアパレルショップの紙袋→(服を買った時は気持ちが高揚しているので袋まで取っておきがちだが、常備しておくにしても数枚あれば十分)
など、あるわ、あるわ・・・。

どれだけ未来に向けて溜め込んでいたことか。

「いつか、」って、いつよ?と自分にツッコミを入れたくなるほどです。

うちは賃貸住宅なので、このような不用品にも場所代がかかっていたかと思うともったいなかったなぁ、と後悔しています。

処分した後は、それぞれの保管場所がぐっと広くなり、出し入れもラクラク。

また、戻す際にもストレス無く戻せるので、面倒臭くありません。

防災用品以外は、あまり「未来のいつか」の事を考えすぎず、今を快適に生きることを大切に、物とつきあってゆきたいと思いました。

57歳女 実家の遺品を処分 前を向いて生きるために

私は東京都に住んでいる50代の主婦です。

私の実家は新潟の方で、その一軒家で13年前まで母と弟の2人暮らしでした。

当時母は乳癌を患っており、仕事をしていた弟一人ではなかなか目が行き届かなかったため、母を私の住んでいる東京の方で引き取り、面倒を見ることにしました。

母の病状が徐々の悪化していったためです。

私の家には夫も子供もいましたので、母の気も紛れるかも知れない、という思いもあり弟と相談して決めました。

母は身一つで東京に上京し、体調の良い時は孫たちと楽しく過ごせていたのではないかと思います。

母がなかなか東京に来たがらなかった理由は、父が癌で亡くなってから、父と経営していた会社をたたみ、父の遺品整理をしたり、父の墓の管理をしたり・・・とそこにいなければ出来ないことを父を失った悲しみの中黙々とこなしていたからでした。

会社を経営していたこともあり、大変な量の家財道具やら事務用品やらで知り合いの方にいろいろ譲ってもまだ手に余るものはたくさんあっただろうに、と容易に想像はつきます。

客商売でしたから、粗末なものを着るわけにもいかず、それなりの着物やスーツなどもかなりあったように思います。

食器の数も半端ではありませんでした。

親戚に声をかけて家財道具の一部を差し上げたりもしていたようでした。

父が亡くなった当時、私はまだ乳飲み子を抱えていましたから、どっぷりと後始末のために里帰りするわけにもいかず、気にはなっていたものの頻繁に手助けは出来ませんでした。

母の口癖は「これからは何も買えないのだからこれ以上捨てないでね」でした。

昭和一桁の世代の人らしい考えです。

これから絶対使わないだろう、と思われるものまで段ボール箱い山のように詰め込み、1部屋は完全に荷物部屋と化していました。

私はその部屋のドアを開けるたびに、「いつ、誰が、どうやって片付けるんだろう・・・」・という漠然とした不安に駆られていたことを覚えています。

そしてとうとうその時がやってきました。

東京に母が来て数年後入院先の病院で息を引き取りました。

弟が住む男一人住まいの実家は両親の遺品は手つかずのまま放置、もちろんあの荷物の部屋は手が付けられない状態。

そのままの状態で3年ほど経ってから弟が東京で仕事をすることになり、その時に私は決心しました。

いつまでも親の影を追ってはいけない、新しく前を向かなければ、と。

親の築いた財産は親のものであって、私たちは自分の力でまた築き上げればいいのだと。

そう決心してからは行動に移すのみ、さっそく弟と車で帰京し、自分たちも使うであろう必要最低限のもの、自分たちの幼い時の思い出の写真やその他お金に換えられないもの、そういう視点で車に詰められるだけ詰めて、どうしても運べない大型家具のみ引っ越し屋にお願いしました。

だいぶ遺品は家に残りました。

例えば着物や洋服などです。

食器も全て持っていくわけにはいかず、置いてきました。

置いてきた家財道具は業者に頼んで廃棄処分してもらいました。

お金を掛けず、短い時間での作業のせいでずいぶん思い切った行動に出ることが出来たと思っています。

後悔してること・・・もう少し時間とお金に余裕があれば確かにもっと持ち帰る出来たかもしれません。

ただ、私は思うのです。

果たして何でもかんでも取っておくことを故人は望んでいるのだろうかと。

きっと前を向いて自分たちの人生を生きてほしいと願っていると思うのです。

現在は実家であった土地と家屋を売り他の人が住んでいます。

これでよかったと思っています。

38歳女子 マイナス友人はスッキリ縁切り

私は、自由・健康・損したくない!をモットーに生きているアラフォーの独身女子です。

私が手放してスッキリしたのは、ネガティブ友達です。

人っていつの間にか自分とよく似た人を引きつけているんですよね。

ある日ふと、立ち止まって冷静に状況を分析してみると、自分と似たような友達が多いことに気づかされました。

いい面で似ているなら手放す必要はありませんが、悪い面が似ていて傷をなめあうようなマイナスな関係や、自分の幸せを喜んでくれないばかりか、妬むような友人はスッキリ手放すべきだと感じたんです。

自己啓発の動画やスピリチュアルの動画をいろいろ見て、自分の考えが大きく変化した時に、手放すことは簡単でした。

その前に、その友人に誰かを妬んでもマイナスなことばかりだよ、とか他人のことはいいから自分の幸せになる方法を考えるほうが何倍も得だよ、とか言ってみたけど、その人が変わることはありませんでした。

手放すきっかけになったのは、ラインのデータが手違いで消えてしまったからです。

この現象は、ラインモバイル以外のデータSIMのみで契約している人ならわかると思います。

連絡先がわからなくなったと同時に縁が切れた、と思いました。

なぜか、その時、自分にとって大切な人の連絡先はすぐに復旧できたり、再度取得できたんですよね。

でも、切りたい関係の人のデータはきれいさっぱり無くなっていたんです。

自分にとってマイナスになる人だから、縁を切っても大丈夫だと言われているような不思議な力を感じましたね。

自分のミスでラインのデータを消してしまったことは後悔したけれど、結果的によかったと思いました。

このブログを見ている人にアドバイスがあるとしたら、必然的に自分にとって大事な人とは縁が切れないけど、何か行動を起こさないと、自分にとって大切ではない人とも縁が切れないということを伝えたいです。

これ、けっこう深いです。

縁を切りたくても切れないと思っている人でも、自分で行動を起こせばキレイさっぱり切れると思います。

何かの力に導かれて切れるような場合もありますが、難しい場合が多いですよね。

でも、自分の幸せのために行動を起こすことが大事なんだと思います。

60歳男性 数百冊の本を捨てて すっきりしました

横浜に住んでいる60歳の男性です。

現在は週3日、退職した会社に再雇用として働いています。

手放してすっきりしたのは大量の本です。

独身時代から読書するのが好きでしたので、新刊書がでれば買い求めていました。

特に好きな作家の小説が出版されると、その日に購入していました。

独身時代から読んでした本は捨てることなくそのまま保持していました。

結婚後もそのまま新居に持ち込んだので、本棚を独占したままでした。

ところが子供が生まれると、子供用の本を買うようになり、本の置き場がなくなってきました。

新しく本棚を追加してもすぐに一杯になるため、本を縦置きしている状態になってきました。

2階に保管していたので、床が抜けることや、地震の時に倒れてこないかだんだん心配になってきました。

子供の本は成長に合わせて増えていましたが、捨てることはできません。

そこで一大決心して自分の本を処分することにしました。

何冊かお気に入りの本はあったのですが、迷いがでてくるので例外なしにしました。

毎週段ボールに詰めて、車で中古本に持ち込み、買い取ってもらいました。

ほとんど値がつきませんでしたが、処分するのが目的でしたので、かまいませんでした。

どんどん本棚がカラになるのを見ていると、もったいない行く気持ちよりは、すっきりしていく光景のほうがうれしくなっていました。

最終的には辞書以外はすべて捨ててしまいました。

不思議ですが、その後は新刊本を読みたい欲求がなくなり、近所の図書館で古い本を借りて読む習慣にかわりました。

後悔していることはなく、どうしても欲しくなったときは、また買えばよいという心境です。

ただし、自分の本がなくなった反動かどうかわかりませんが、昔すきだったプラモデル制作を始めるようになりました。

完成した作品は捨てることができないので、専用のケースに入れて飾ってあります。

家族は黙認していますが、家が狭くなってきたときに、整理したほうがよいといわれないかびくびくしています。

アドバイスがあるとすれば、大事なものを手放すまでは決心がいりますが、一度決心すれば案外簡単に捨てることができるのではないかと思います。

40歳 男 身体よりも心の健康につながった!

 そろそろ身体の節々の痛みを感じる40代です。

「努力をしてこなかったから,そうなるのだ」言われてしまうかもしれません。

でも,違うのです!自他ともに(?)認める「健康器具おたく」なのです。

振り返ってみると,30代から1年に1台の割合で,器具が増えています。

「ぶらさがって背骨を伸ばすもの」に始まり,数十万円する「重い金属を持ち上げるもの」や「座って身体をゆらゆらするもの」小さなものでは,「ぐいぐいとゴムを引っ張るもの」「にぎにぎするもの」などなど…。

その数,20器具以上。

 これらの器具を買う時の心情は共通しています。

「よし,がんばって使うぞ!」しかし,これまた共通しているのは1週間で飽きてしまうということです。

そして,家中のどこかしらのオブジェに化す,物干しなどの別の利用用途に化すことも。

 もう一つ言えるのは「いつかまた使うかもしれない」という心情が働き,処分ができなくなるのです。

ふとテレビで筋肉芸人を見たとき,格闘技を見たとき(よし,あの器具を使って・・・!)と思うのですね。

でもも,その熱も結局は1週間・・・。

 しかし,断捨離を行う決意を起こさせる出来事が起こりました。

娘の「姉妹で部屋を分けてほしい」の一言です。

今まではある一部屋に大きな器具を置いていたのですが,その部屋を明け渡さなくてはいけなくなりました。

一度話が出てしまえば早いもの。

娘の希望に勝るものは無いのです。

次の日にはリサイクルショップに運ばれていった健康器具たちでありました・・・。

 喪失感もありましたが,それ以上に(おいおい,俺たちをいつ使ってくれるんだい?)という無言の圧力,「あの器具邪魔でしょ!どうせ使わないでしょ!」という妻からの有言の圧力から解放された開放感があったのです。

人間誰しも,その後の事を考えず,その場の勢いで,かっこつけで,特に理由もなく,CMに感化されて物を購入してしまうものではないでしょうか。

そして,それを否定されても素直に受け止められない心があるのではないでしょうか。

でも,言葉には言い表せない「呪縛」のようなものがとれた時のすっきり感。

小さなプライドを吹き飛ばしてくれました。

 誰しも一度は購入したことがあるであろう健康器具。

上手に活用して,成果をあげている方もいらっしゃるでしょう。

しかし,そうではない私は,ありとあらゆるものを手放しました。

手放すことで「心の健康」を手に入れることができました。

 

31歳女 漫画本で埋もれた部屋を一掃できた話しについて

私は、今まで数々のゲームやオタク系のゲームを手放すことができませんでした。

小学生の頃からコレクターとして収集する形でした。

いつも気になる本があればすぐに電気街へ走る形でゲームを購入したり、漫画の本ばかり購入する形の生活でありました。

友達が来てくれた時はみんが面白い面白い!と言って喜んでくれる形になり、私としても友達に喜んでもらえて大満足でありました。

しかし、親はどんどん二階の息子の部屋が物で埋まって行く危機感を実感する形で、「少しは片付けなさい!」「重さで底が抜けるよ!」と言う形で、怒らることが往々にしてありました。

そんな状況でも中学生、高校生と本を貯めるに貯める形になり、私の部屋の中は飽和状態でありました。

勉強するにしましても、どうしても散らばっている本が気になってしまい、ついつい読んでしまうと言う形で、気が付けば勉強おおろそかになっておりました。

勉強している最中でもちょっと休憩と言う形で、散乱している漫画の本を手に取る形で、いつの間にか「ぎゃはは!」と腹を抱えて笑ってしまうような形になりました。

このままではイケナイと強く思いましたのが、テストで散々な結果を取ってしまったことでした。

これにより、私は、本気を出して部屋の中を一掃しよう!と強く心に決めるような形で大掃除と言う形で取り組みました。

幸い大半が漫画の本でありましたので、最近ではブックオフ等は持ち込めきれない本につきまして、出張買取と言う形で、自宅まで来てくれて本を全て車で持って帰ってくれると言うサービスをしてくれますので、早速ブックオフに電話するような形で本を回収しに来てもらいました。

そうすることによりまして、部屋の中が隅々までキレイになるような形で、気になっていた本を全て売ることができて、金額としては、あまり成果が得られるような内容ではありませんでしたが、これですっかり片付いて勉強にも集中できるような形になりましたので、本当に片づけることができて良かったと思いました。

30歳女 実母が毒母と気付き捨てて自分の人生が始まった

はじめまして。

私は30歳主婦、3児の母です。

私には第1子出産後ある出来事を機に手放したものがあります。

それは実の母です。

私が10歳の時に父は出ていきました。

母がいわゆる片付けられない人で父がそれに耐えられなくなってしまったのです。

幼い頃はそんな生活が大変な中でも愛情深い母だと思っていましたが、成長していくにつれ母の異常さが気になっていました。

早すぎる門限、家事はほぼ私にやらせ、気分で動き、私の何気ない一言で泣いたり大げさに傷ついてアピールしてきたり。

毎日のように出ていった父の悪口を聞かされて、どっちが母親かわからなくなるほど感覚が麻痺していきました。

私の母は近年騒がれている毒親、所為「毒母」だったのです。

やがて私は成人し、就職を機に奇跡的に独り立ちした後に結婚・妊娠しました。

赤ちゃん大好きな母は喜びましたが、実家は私が家を出てからテレビで観るようなレベルのごみ屋敷に進化しておりました。

信じられませんでしたが開かずの間ができ、天井近い高さの山があるのです。

当然里帰りは不可。

出産後は私の家に母が何度か来てくれましたが家事等は一切助けてくれず、我が子を可愛がるだけでした。

私はモヤモヤを感じていましたが、ここで何か言ったら母が悲しむと思い我慢。

そんなタイミングで父から
「離婚もしたし実家の所有権を司法書士を通じて母に譲りたい。

しかし連絡先を知らないので仲介してほしい。

」と連絡がありました。

母にこのことを伝え了承を得たので、両親の橋渡し役をしたのですが父に頼まれた書類を母がいつまでたっても出さないのです。

はじめての育児で余裕がない時に父と司法書士にせかされ、母に気を遣いながら催促。

結局催促してから2か月後に書類をもらい、私の我慢の糸が切れました。

私に依存し母のように求めてくる母はおかしい。

こっちは子育てでいっぱいいっぱいだし、これからもこんな風ならいっそいない方が私の人生は幸せなのでは?と思ってから私の行動は早いものでした。

母の連絡先を削除し、夫にも捨てたからと伝え関係を断って数年経ちました。

母を思い切って捨ててからの人生は時折母への罪悪感も感じますが、非常にストレスフリーで後悔はしていません。

親との関係に悩んでいる方、可能であれば距離を置くのが得策です。

私は母の行動のおかげでしんどさの原因や母の異常さに気付けましたが、毒親に関する書籍や情報も増えているので親に疲れている人は是非一度見てみてほしいです。

自分の人生をようやくスタートできた、そんな気分です。

思い切って手放したおかげでとても気持ちが軽くなりました。

40代 女 不安と心配を手放し子供の不登校解決 明るく穏やか生活

40代、子供2人の母親です。

中学生の時に子供が体調を崩し中々良くならず、そのまま学校に行けなくなってしまい不登校になってしまいました・・・

毎日胃痛で苦しみ、食事も中々とる事も出来ず毎日が不安で心配ばかりの日々でした。

子供は布団に毎日横になっている事が多く、学校に関する物は見たくない、学校の事を考えると又体調が酷くなってしまう状態でした。

母親としてそんな子供にどうしてあげたら良いのか一向に分からず、ただただ時は経っていくばかりで、子供の体調も良くならずで体重は減っていくばかりでした。

拒食症!?と思ってしまうような肉のない体型になっていき、私は毎日悲しく悩み心身疲れ切っていました。

子供の心身と寄り添う毎日、子供の体重をみるたびにどうにかなってしまったら・・・と恐ろしくなってしまい、WEBで時間の可能な限り調べ、そのような症状の不登校の子が元気になって登校できるようになるというたくさんの口コミのあるカウンセラーを見つける事ができ、アドバイスを受ける事にしました。

不安になり心配するより子供を褒める事が大切。

悲しい悩んだ顔ではなく笑顔で子供と接してあげる事。

その日から、心から不安と心配を捨てるように努めました・・・

毎日毎日捨てても捨てても子供の体調が良くならないと不安と心配が私の心に押し寄せてきました・・・

でも、また捨てて笑顔で子供と過ごす。

子供の為だと思い必死でした。

その日々の繰り返しをずっとしていたら、子供も私も本当の笑顔と元気を取り戻せました・・・

子供は体調が良くなり、体重も増えていき、元気になって学校へも再登校できました。

半年という長い私の不安と心配で、子供は良くなる体調も中々良くなっていく事が出来なかったのだと思います。

不安と心配を手放してすっきりです。

良くない出来事があってもマイナス状況からプラス感情へと考える思考の大切さを知りました。

マイナス感情ではマイナス感情しかうまれない。

プラス感情はプラス感情をうみだし穏やかな日々を過ごしていけます。

29歳男 被災後の無残な姿の実家と愛車を処分 新たな人生を!

 おはようございます。

僕は29歳の男性です。

現在の職業としては、自営業(フリーランス)をしております。

 僕は被災当時は宮城県の港町におり、実家暮らしでした。

ところが津波やら火災、地震により町を始め愛車やら大切な友人・知人、大切な実家がめちゃめちゃに壊されてしまいました。

 あの時は本当に怖かったですし、この世の終わりと思いました。

 しかしながらも、命が助かっただけ有難いと思っております。

 僕は命からがら避難所に避難して難を逃れました。

そして、1週間程の避難所暮らしを余儀なくされたのです。

 「この町はもうだめだ!」と判断し、仙台市に引っ越しをしました。

 仙台の人達もとても暖かくて、すぐに避難所に入れてくれましたし、区役所の方やら不動産屋の方、大家さん達のお力添えいただいたおかげで、安全な住居を確保して今日に至ります。

 
 4月になり、ある程度生活が落ち着いてきました。

 ところが僕からすると、一つだけ気がかりな事がありました。

それは実家の事です。

 すぐに港町に帰り、実家のあった場所へ行きました。

 僕の目に飛び込んできたのは、変わり果てた実家の姿でした・・・本当に悔しくなりましたし、悲しくなりました。

 そして、僕の愛車のフェアレディZ32も無残な姿となり、津波の影響のせいで他の人の家に乗り上げておりました。

 本当に「自然災害は怖い」と思いましたし、人は無力だと感じました。

 しかしながら、悲しみに暮れている訳にはいきません!前に前に進んでいかないといけないのです。

 そこで実家と愛車を処分する手続きをする事を、決意しました。

 そして、不動産屋さん車屋さん保険屋さん等にコンタクトを取り、安否を確認して安心したものの、早速手続きの話をしました。

 皆さんと協力をして書類を揃えたり、お金を払ったり、役場へ行って色々と手続き等がありました。

 この時に保険屋さんが義援金等に関してアドバイスをくれて、わざわざ一緒に手続きに付き合ってくれて、もらえないと思っていた義援金を貰う事もできました。

  
 その後、実家と愛車を処分しました・・・

 心情としてはとても悲しかったし、やるせない気持ちでした。

処分の仕方が、こんな形だなんて・・・

 ですが「新たな人生への1歩だ!」と思うようにして、自分を奮い立たせてここまで来ました。

 後悔している事といえば、もう少し愛車と実家を大切にして愛着を持つようにしていれば良かったと思っております。

 最後にアドバイスとなりますが、自分が「気がかり」なものは早めに対処して処分した方がいいと思います。

 これによりとてもスッキリした気持ちになりますし、ポジティブになると思います。

 新たな人生やら新たな道。

見えていなかったものまで、見えるようになると思うのです。

 どうか皆さんも手放したり、処分したりする事でスッキリする事を祈っております。

33歳女性、趣味のものを一斉処分でストレスがなくなりました

30代の女性会社員です。

私は好きになったキャラクターやアニメのグッズや漫画、ゲームをついつい買い集めてしまう癖があります。

おまけに思い入れがあると中々手放せず、部屋の中に細々としたものが増えすぎてしまうことが悩みでした。

何度か整理しては、これだけは残しておくと繰り返していたところ、捨てられない物ばかりになりました。

しかし、ある日のこと。

仕事から疲れて帰って、部屋の電気をつけた瞬間、部屋の中からの情報量の多さに更にドッと疲れてしまったのです。

大好きな物や思い出の品のはずなのに、とにかく色と量が目障りで仕方なくなったのです。

疲労のせいだろうと思ったのですが、毎日、部屋に帰るたびにいらついてしまい、これはもう限界だと思って一気に処分することにしました。

まずは、漫画とゲームを中古買い取りに出張買い取りに来てもらいました。

最初は、どうせ二束三文だろうと思っていたのですが意外や意外に2万円ほどになり驚きました。

そのときに買い取りに来ていた業者の方が、帰り際にアニメグッズなどの買い取りもしているので、良ければまた利用してくださいと言ってくださいました。

私は、部屋が片付く上にお小遣になるのであればこんなに良いことはない。

ホコリを被ったグッズ達も、もっと欲しがる人たちの元に行った方が幸せだろうと思い、グッズ類についても追って買い取りをお願いしました。

すると、こちらもガラクタだと思っていたものが、数があったせいか1万5000円ほどになりました。

溢れていたものが無くなった部屋はスッキリとしていて、物理的にも視覚的にも部屋が随分と広くなり、とても晴れやかな気分になりました。

今では、毎日部屋に帰るとスッキリとした空間にほっとするようになりました。

思い入れがあるとつい手放すのが惜しくなってしまいますが、ホコリを被り、見向きもされなくなった物達の気持ちを考えると、手放してあげたほうが物も人も幸せになれるかもしれません。

本当に大事にするのは、その物が大切に扱われることだと思うので、今、迷っている人がいれば、何が一番双方にとって幸せかを考えてあげてください。

35歳女性 思い切って手放して、スッキリしたこと

35歳女性です。

私には義姉が1人いるのですが、旦那との結婚の時に、時計をプレゼントして頂きました。

私は一度は断ったのですが、大切な自分の弟と結婚してくれた相手だから、ぜひプレゼントをしたい、負担に思わず、受け取ってほしいと言われて、そんな思いならと思い、ありがたく受け取りました。

そのあとで噂で聞いた話でもあり、義姉が義母に直接話しているのを私が聞こえてしまった話でもあるのですが、あの時計は、本当に高かった。

弟にあげるならまだしも、弟嫁にあげるのなんか、もったいない、本当に嫌だけど、弟の手前格好をつけた。

弟の嫁はあの子ではなく、昔連れてきた子が良かった。

または私が友達を紹介してあげたのに。

と言っているのを壁越しに聞きました。

義姉は普段から周囲の人々の文句を言い、自分は王様だというように振る舞う人なので、私はとても苦手でした。

ですが、大人である以上、それ以上の振る舞いや受け答えなど、とても頑張っているつもりです。

そして私も義姉をおだてているつもりはないですが、きちんと対応もしています。

それなのに、私の文句ばかりを多方面で言っています。

時日が経つにつれて、最初は我慢しようとしていたものも、だんだん嫌になり始め、家に飾っていた、結婚のお祝いでいただいた、あの高価だと言っていた時計を壁から外しました。

やはり旦那はそれを見るとすぐに、なぜ外してしまったのか、その後どうするつもりか、姉がせっかくお祝いで買ってくれたのに、と私に言ってきたので、私はとてつもなく嫌な気持ちになりましたが、それを見せずに、部屋を模様替えしたいから、気分転換に違う時計にしたい。

この時計はまた次に使うことを告げました。

数年部屋の片隅にその時計を置いていましたが、見れば見るほど、義姉のことを思い出すし、自分が嫌な気分になる他なかったので、大型ゴミ回収日に思い切って捨てることにしました。

旦那にも時計は壊れていたと嘘をついてしまいましたが、その嘘をついてしまったことに罪悪感を一ミリも感じないほど、捨ててとてもスッキリできました。

27歳女 元彼からもらったぬいぐるみを売り払う

27歳、社会人5年目のOLです。

私にはずっと捨てられないものがありました。

それは、元彼にディズニーシーで買ってもらったダッフィーのぬいぐるみです。

買ってもらったのは今から7年前、そして、その元彼と別れたのは5年前。

大学時代の楽しい思い出と相まって元彼のことを忘れられずにずっと引きずっていたことと、店中のダッフィーを見比べていちばんかわいい子を買ってもらったこともあり、どうしても捨てられずにいました。

それを手放すきっかけとなったのは今年になってからです。

大学時代の共通の友人の結婚式二次会に呼ばれたとき、交友関係から元彼も来るだろうなと思っていました。

しかし、元彼は私が二次会に呼ばれていることを披露宴で知り、そのまま友人に告げることなく帰ってしまったそうです。

元彼とは大学卒業後自然消滅という形で終わってしまったので向こうも気まずかったのだろうとは思いますが、まさかのドタキャン、しかも連絡無しの、ということで、そのやり方にとてもがっかりし、今まで引きずっていたことが馬鹿らしく思えました。

その翌日、ダッフィーちゃんに罪はないので心苦しく思いながらも、しっかり洗濯をした後にかわいいポーズを取らせ写真を撮り、フリマアプリで売ることにしました。

やっぱり顔がかわいくて、たまに抱いて寝たりもしていたので愛着もあったのですが、ずっと持っていても良いことがないなと思ったので思い切って出品ボタンを押しました。

結局2000円で売ることができ、売上金として1100円が手に入りました。

定価が3000円くらいだったのでどうかな?とも思ったのですが、私は1円も出していないし、何よりスッキリと処分してわずかでもお金が入ってくるのは気持ちいいなと思いました。

数ヶ月経ちますが特に後悔したことはありません。

強いて言えば、こんなドロドロの気持ちがこもったダッフィーが誰かの手元にあることが少しだけ申し訳ないような感じもします。

スッキリとした今、元彼からもらったものは捨てるべきだなと改めて思います。

それを見る度に、勝手に美化した思い出の中の元彼と今の彼氏を比べては不幸になるからです。

今回のように値段がつくものは売って、そのお金で美味しいものを食べるのがいちばん幸せなことだと思います。

34歳男性 中古車を売却した話

宮城県に住む現在34歳の独身男性です。

新車で買った車を1年半余りで手放したお話です。

手放した車はトヨタヴェルファイア2.4ZGの黒です。

アルパインのデカナビ、PIAA製のHIDライト・フォグをつけていました。

購入価格420万円程しました。

手放ししたのは私が29歳の頃で走行距離は2万4000km余りでした。

なぜ手放したかというとその当時付き合っていた彼女と別れたためです。

やはり車に乗ると付き合っていた頃のことを思い出すので車に乗るたびに思い出すのは嫌だなと思い、手放しに踏み切りました。

当時、車の残債がありましたが予め車両の買取相場を調べて相殺できる可能性があると知り、売却に踏み切りました。

売却する際は、中古自動車買取サイトを使って何社か自宅に呼び、一番高く買い取ってもらえる買取業社に売却することにしました。

ただし相手もプロなので少しでも安く買取することが仕事ですので常識の範囲内での希望額をぶつけ競っていただきました。

名義変更の手続き、残債支払いを行っていただき余った差額の入金まで滞りなく進めて頂きました。

高い金額で買い取ってもその後の対応が雑な買取業社もいるようですが私は全てにおいて満足できる対応をして頂きました。

後悔したことといえば20万円以上した国産スタッドレスを一緒につけてしまったことです。

別売すればよかったと後悔しています。

また写真を撮るのも忘れてしまい思い出を残すことができませんでした。

しかし1人身なのにあんな大きい車に乗る必要はなかったなと冷静になったところで思いました。

その後新しい車に乗り換え新しい生活を始めました。

私は結構何かあるたびに車を乗り換えています。

高く売れるうちに売って乗り換える手法なのでそこまで大きな出費とはなっていません。

ただしこれをやるには日本車じゃないと難しいです。

外車は中古車相場がガタ落ちするためです。

人生一度きり、思い立った時こそが吉日です。

新しいことに挑戦し続けましょう。

47歳男 不動車を処分 心情的にも経済的にもスッキリ

私は47歳の独身男性です。

妻も子供もいない独身だったので、自由になるお金は結構あったんですよね。

そのおかげで学生時代に憧れていた車を購入しました。

車は三菱のGTOという90年代のスポーツカーです。

同時期に発売されていたスポーツカーの中ではマイナーな車です。

それには色々事情があるんですけど、そこは割愛ということで。

まあ色々問題はあるものの、私はそのデザインが好きだったので購入し、乗り続けていました。

ただGTOって台数は少なく、ナンバーを確認しなくても誰の車かわかる程。

しかもデザインが無駄にいいだけに超目立つんですよね。

(中核市住みですが、同色の同じ車を見かけた事はありません)。

それに燃費も悪い。

ハイオクで5km/Lぐらいの燃費なので、毎月3万円ぐらいのガソリン代。

それにタイヤ等も4本交換すれば20万円近くかかります。

そんな時に兄から軽自動車をもらったので、車の2台持ちをしてました(兄も独身の車好きで3台持ちをしており、新たに車を買うから軽自動車いらないか?とくれたんです)。

もらった軽自動車はムーブという車なんですけど、この乗り心地がなかなか良いんです。

車幅は狭くて小回りも利く為、狭い住宅街の道路もなんなく通り抜けられます。

その点GTOは横幅184cm(当時は180cm越えの車はほぼなかった)もありますし、2ドアなので駐車スペースが広くないと車を停められません。

もちろん停めるだけなら可能ですが、ドアを開けられないので出られないんです。

しかもレギュラーで15km/Lぐらい走る高燃費な上、タイヤ4本交換してもGTOのタイヤ一本分未満の費用しかかかりません。

そう、維持費がとても安いんです。

もちろん高速を使って他府県までドライブするとか、深夜の空いた道路を走る分にはGTOって快適です。

しかし日中市街地を走る分には速度出せるわけでもないですし、裏道もスイスイ通れるムーブの方が断然便利。

ということでGTOに乗るペースは毎日から週末、週末から月1と減っていきました。

ここまで乗る頻度が減ると、バッテリー上がりを起こすんですよね。

GTOに乗る時は毎回ムーブとバッテリーケーブルを繋がないとエンジンがかからないようになり、さらにGTOに乗るのが面倒に。

気づけば1年以上乗らなくなってました。

ここまで放置してると、GTOが動かなくなったんです。

今まで通りムーブのバッテリーに繋いでからキーをまわしても、キュルキュルキュルっという音がなるだけでエンジンはかかりません。

軽自動車のバッテリーだからダメなのか?と思ってJAFを呼んでみたのですが、JAFでも無理でした。

JAFスタッフから、バッテリーが原因ではないので修理工場で見てもらわないとダメですねと言われ、GTOは動かないまま。

毎日GTOに乗ってるならすぐ修理したでしょうが、毎日乗ってるのはムーブです。

それにGTOを直した所でムーブに乗り続けるのは明白です。

ならGTOに乗りたいという気持ちが強まるまで放置でいいか・・と放置しました。

この時に手放せばよかったんですが、10年以上乗ってきた愛車なので、手放せなかったんですよね。

そして4年程経過。

車検は通さなかったものの、それでもお金ってかかるんですよね。

毎月の駐車場代や自動車税等。

結局ムーブを買い換える時にGTOも中古車店で引き取ってもらいました。

ムーブは買い取り、GTOは廃車ということで。

手放すまでは愛車だったのにと悩んでいましたが、手放したら手放したでスッキリしました。

恋愛で例えるなら、初めて交際した思い出の女性を吹っ切ったという感じでしょうか。

GTOを手放したことで心情的にも経済的な面もスッキリしました。

60代女性、主人との思い出のリング他を処分

60代の女性です。

結婚してやがて37年を過ぎようとしています。

長い結婚生活はそれはほんとによく色々あったものです。

今では笑い話になるものもあれば今でも主人を憎む出来事もありました。

継続中と言うことでしょうか?その結婚生活の中で私が手放してすっきりしたものは貴金属類を売ってしまった事です。

貴金属と言っても普通の主婦ですので高価なものは持っていませんでした。

それでも金、銀が少しずつ値上がりしている時期でしたので、結構いい値が付きました。

当時主人との仲が悪くなり離婚を考えていた時期でしたので主人との思い出の品すべてに鬱陶しさを感じていたのです。

これがすべて無くなったらどれだけすっきりするだろうと、ほんと安易に考えての行動でした。

もちろん売ると言ってもそれまで質屋なども行った事もなく、どこの質屋へ行くか難易が高く悩んでいました。

その時何気なく見ていたテレビのCMで某質屋が出ていました。

私は躊躇する暇もなくその某質屋へ足を運びました。

持って行ったものは主人が買ってくれたおしゃれリング、二人の結婚指輪、ネックレスなど10点以上はあったとおもいます。

わたしが自分で買ったものもすべて売り払いました。

今思えばせめて自分で買ったものは手元に置いていてよかったなと思わないではないのですが。

主人にはしばらく指輪などを売った事は内緒にしていました。

あとから主人に文句を言われましたが、売ってしまったものは仕方ありません。

質屋へ売りに行ったその後の私達は離婚の件はなんとなく立ち消えとなり現在に至っています。

まだくすぶってはいますけど。

私は今また新に主人と写っている写真の整理を始めています。

こちらもみんな処分するつもりです。

先日主人の目の前で結婚式の写真を破りました。

主人は激怒していましたが、これがコピーなのはまだ主人に教えるつもりはありません。

主人の今後を見ながら実物の結婚式の写真を破り捨てるかどうか決めたいと思っています。

47歳男 置物と化したパソコンを処分 スッキリしました

私は47歳の男性です。

以前なかなか捨てられずにいるパソコンを処分し、スッキリした~という体験をしました。

まずパソコンについてですが、処分に困っていたのはX-1 Turbo Z2 というシャープ製のパソコンです。

今から30年ぐらい前に発売されたものなので若い方は知らないでしょう。

またマニアックな機種なので、私と同年代の方でも知らない人の方が多いと思います。

さてこのマニアックなパソコンX-1TurboZ2ですが、実は私が初めて購入したパソコンなんです。

本体価格15万円ぐらいしましたが、今まで貯めていたお年玉で購入しました。

本来は本体だけ購入しても、ゲームを遊ぶことは出来ません。

しかし当時は違法コピーが常態化しており、他のX-1ユーザー達とゲームソフトを共有することでとりあえず本体さえ購入すればゲームを遊べたんです。

(現在はファイル共有ソフト使用による違法ダウンロード等の罰則がありますけど、何せ当時は30年前です。

モラルとしてどうなの?と問われるかもしれませんが、罰則等はなかったのでご容赦お願いいたします)。

しかもこの当時のパソコンってグラフィックや音楽が凄く良かったんです。

何せ当時の家庭用ゲーム機というと、8bit音源のファミリーコンピューター全盛でしたから。

まさに玉と瓦です。

今でも印象に残ってるのは、日本ファルコムから発売されたゲームですね。

FM音源の良さを十二分に発揮したイース2やソーサリアンは最高でした。

30年以上経過した今でもイースシリーズは発売されていますし、ソーサリアンもMMORPGとしてリリースされたりするほどですし、当時は本当に感動したものです。

長くなりましたが、X-1 TurboZ2って私の思い出のゲームが沢山あるパソコンなんです。

ただ残念ながら、パソコンって移り変わりがすごく速いんです。

X-1シリーズは時代遅れとなり、時代の主流はNEC製のPC8801orPC9801に。

となるとメーカーはX-1TurboZ2を見限り、X-1TurboX2にゲームを発売しないようになりました。

新作ゲームが発売されなくなった事で私もX-1TurboZ2で遊ばなくなり、押入れの中に埋もれるように。

その後Windows用パソコンを購入しましたし、完全にX-1TurboZ2はいらない子になりました。

今のパソコンってデスクトップでも本体と一体型でスリムですし、ノートPCはさらに小型化+軽量化がなされています。

それに比べてX-1TurboZ2は本体は大きく、重量も相当で凄く邪魔でした。

邪魔だと頭の中ではわかっていても、昔このパソコンで沢山のゲームを楽しませてもらったしな~と思うと捨てるに捨てられません。

恥ずかしながら押し入れの中にしまって電源を一切入れない状態で20年以上放置してました。

この捨てるに捨てられないと解決してくれたのは自宅のリフォームでした。

リフォームする際に色々な物を捨てることになったのですが、その際業者さんにX-1TurboZ2の処分もお願いしました。

もし自分で捨てるとなったら躊躇していたと思いますが、業者に依頼したことで他人事のようになったとでいいましょうか。

何にせよリフォームをキッカケにX-1TurboZ2を手放すことが出来、手放したら手放してで開放されたというかスッキリしました。

まあ自分で実際行うのは無理でも、他人に依頼すればなんとかなるもんだなってわかりました。

57才、女性、幼児物のは量がありました

我が家には、息子が誕生した時、服やおもちゃ等のお下がりが山ほどありました。

息子の誕生に喜んでくれた親戚から、貰い受けた物です。

とてもありがたかったのですが、困ったことにはとても収納しきれなかったことです。

特に、自動車型で、遊園地にあるような実際に子供が中に入って乗る遊具には困りました。

お外で遊ぶ為のものですが、大きくて持ち運びが難しいのです。

特に幼子を抱えて、アパートの5階を歩きで上り下りしなくてはならない状態でした。

とても外に持っていけず、仕方なくベランダに置いていました。

お洋服は、汚れの少ないものを頂いていました。

しかも結構センスの良いもの、子供服のブランド物が入っていました。

しかしこれが多い…。

おかげで毎日、あれこれとっかえひっかえ着させて、楽しくはありましたが。

ついでに、他のママに「いつもおしゃれなの着てるね」と褒められ、気をよくしましたが。

それにしても幼子は、体は小さいくせに、荷物が多かったり、大きかったりです。

大きくなるにつれて、荷物は減っていくのだと痛感させられました。

おもちゃ一つで、こんな量があるか~!ベビーカーって必要だけど、大きいっ!
私は外出の度に、子供のお出かけセット(オムツ、着替え、タオル、飲み物等々)とベビーカーと、遊べるようになってからは、おもちゃが加わり、それらと息子を抱えて上り下りしていました。

ちなみにベランダの子供用自動車は、息子のお気に入りになりませんでした。

息子は、ピカピカの真新しい幼児用のミニバイクをプレゼントされており(室内用でした)、これがお気に入りで、フローリングの場所を大喜びで乗り回していたのです。

大人にとっては、邪魔くさくて少々危険なのですが。

正直、私はずっと困惑していました。

皆さんのお気持ちは大変嬉しい。

けれどもこれだけの分量を収納しきれない。

時が経て、息子には必要でない時が来ました。

夫と2人、処分することを確認した時は、本当に嬉しく思いました。

処分するに際して、何が一番嬉しかったかと言えば、ベランダの自動車方遊具です。

これを処分できた時は万歳しそうでした。

息子がこれを気に入って、しょっちゅう乗っていたなら違いましたが、1回くらいしか乗らなかったので。

嬉しかった2番目は、山のような服、ベビーカーです。

ただ、悔しかったのは、子供服をリサイクルショップに何十枚も持っていって、一枚か二枚くらいしか買い取ってもらえなかったことです。

こんなに可愛い息子の、こんなに可愛いお洋服なのに!今なら冷静に、「幼児服なんて汚れているに決まってる」とうなずけますが、子供しか目に入っていない当時は、「この店の人、どこ見てんのよ」くらいに思っていました。

それにしてもこの時は、多くを手放してすっきりさっぱり。

重いものが頭から落ちたかと思うほどでした。

私は基本的に、物を手放すのは一気に勢いをつける方が、向いているようです。

これのデメリットは、いつ勢いがつくかわからないことですが、メリットとしては、片付いたときに空間の広さをしみじみ感じられることです。

すっきりさっぱり、この時の爽快感はたまりません。

41歳女 服を捨ててたくさん得たことの体験

ミニマリストに憧れる現在専業主婦です。

今回【手放してすっきりした体験】の体験談を書きます。

私が手放してすっきりしたものはクローゼットいっぱいに詰まっていた洋服や小物類です。

服の処分に踏み切った経緯は、1年前くらいに近藤麻理恵さんややまぐちせいこさんの片づけやミニマリストに関する本を読んで、物が少ない方が物を大切にしたり節約になるということを知り、いくつもの収納ケースにあった大量の自分の服を整理することにしました。

私のクローゼットは寝室にあるもので私専用です。

備え付けのハンガーをかけるポールと、自分で購入した収納ケースが6つありました。

一応季節ごとには分けてはいましたが、とにかくそれまであまり服を捨てたことがなかったので、何年も着ていない服がたくさんありました。

まずはハンガーにかけてあるアウター類をまだ着れるかもという視点ではなく、今の自分が着たいものだけを残して全部処分し、その後同じように収納ケースの服にとりかかりました。

残す服でその時に着る服は全部ハンガーにかけて、その他の季節の服はまたケースに収納しました。

6つあった収納ケースは2つ減って4つになり、
・春夏物
・秋冬物
・スポーツウエア ホームウエア
・スカーフ 手ぶくろ マフラーなど小物類
に分けています。

とりかかれば早いもので一気に半分以上は服を処分したと思います。

その量を維持するために一つ買ったら一つ捨てることを習慣にしています。

服が減って後悔したことは不思議と何もありません。

やって良かったなと思うことは、
・現在持っている服がわかるようになった
・自分の好みの服がわかるようになり、コーディネートに迷うことも少なくなった
・同じものをタブって買うことがなくなった
・ハンガー収納メインになったことで洗濯物の片づけが楽になった
・衣替えの時の服の見直しが楽になった

などあります。

この自分の経験を生かして、主人の服や子供の服もハンガー収納メインにしたので、洗濯物の片づけが下着とタオルくらいだけですし、子供に自分のものを片づけさせています。

服の断捨離を考えている方で迷っている方がいらっしゃれば、ぜひ一度ネットや本で勉強して断捨離後のイメージをはっきりさせておくと良いと思います。

一気にでなくても収納ケース1つずつからでも見直すと良いでしょう。

私は今よりもっと服を厳選して本当に着たい服だけ毎日着る楽しい日々を過ごしたいと思っています。

ぜひあなたも綺麗なクローゼットと少しでも楽な家事と好きな服を着る幸せを手に入れるために行動してみてくださいね。

アラフォー女性 CDは買取をオススメします

はじめまして独身アラフォーの女性です。

わたしが手放してよかったことをお伝えしたいとおもいます。

それは以前好きだったものです。

今年の夏に17年振りに引越しをすることにしました。

新しい部屋が狭くなるので整理しないと、物で溢れかえってしまうことからはじめました。

具体的にはCDです。

今となってはもう聞いていかなかったのですが、20代は音楽が大好きで仕方なかった時期がありました。

友人が少ないわたしにとってお金がないながら生活費を削り、友人たちと語り遊び交換しあう時間がとっても大切なものでした。

手に取ると青春の思い出がたくさん蘇るアイテムの象徴でした。

それを手放すなんて、無駄な時間とお金を使ったような感覚になってしまうようで抵抗感がありました。

数にすると数百枚はあったかと思います。

まずはケースを抜いて保存していたものとケースのまま保存していたものと2つのカテゴリーに分けて整理をしました。

ケースなしの方が比較的手放しやすく、一つ一つ手に取りながらこんなにアーティストがいて、遠征にいったなーとか今はどうしているのかと思いをはせて懐かしい気持ちになりました。

ごみ袋に入れていくのは切なかったです。

次にケースありの方はまったく捨てる気になれませんでした。

聞いてほんとにカッコいい!と思うけれどずっと聞いてないのです。

結果価値をみてくれるところ、マニアックなお客さんがいるジャンルが細かく別れているようなお店でCD を買い取りしてもらうことにしました。

これが大正解で一万円位になりました。

手放してもこれが欲しいなというお客さんのもとに届くイメージが沸いてきてうれしかったです。

わたしも思っていたよりもお金になってよかったです。

やってみて思ったことはCD を保管するときはケースごとの方がいいです。

買い取りに出す想定をしていなかったので、処分してしまいました。

欲張りな考えかも知れませんが、もっとお金に交換出来たかもしれません。

過去を手放して今興味のあるところに使うこともありだとおもいます。

32歳女性 本を処分してスッキリ

こんにちは、専業主婦のふみです。

断捨離。

家事をする人ならば、常に頭にあることかと思います。

不要なものを処分して、家中スッキリできたらどんなに気持ちいいか!でも、何を捨てて何を残せば良いのか?の判断は本当に人それぞれ。

悩んでいるうちに月日はどんどん流れ…という方も多いのではないでしょうか。

今回は、私が「本」を大処分してスッキリ!したエピソードをご紹介します。

何かの参考になれば嬉しいです。

【転勤族】
私の夫は転勤族です。

つまり数年に一度の引越がつきもの。

油断していると2~3年でどんどん物が増えていき、次の引越で悲惨な目に遭うこととなります。

しかも辞令が出てから引越当日までは半月あるかないか。

まさにドタバタ作業となるのです。

引越の手続関連だけでも面倒なのに、徹夜で荷造りなんて絶対に嫌だ!!一度、怒涛の引越作業を経験した私は、(自分にしては)大規模な断捨離に踏み切ることにしました。

約1年前のことです。

【本を捨てよう】
断捨離したものは、家具、洋服など色々ありますが、私が自身で思い切ったと言えるのは「本」です。

本が大好きな私は、小説からレシピ本、資格試験の参考書に至るまで、後生大事にとってありました。

心に残っている文章、美味しかった料理、一生懸命頑張った勉強など、思い出が失われてしまいそうで捨てるのが嫌だったのです。

しかし、あの地獄の引越はもう経験したくない。

私は、これらを一気に手放すことにしました。

絶対にもう一度、いや10回は読み返す!という「自分的殿堂入り」のものを除いて、泣く泣くですが古本屋に持って行ったり、廃品回収に出したり、人に譲ったりしました。

【良かったこと】
やはり部屋がスッキリしました。

それまで所構わず置かれたり、積まれたりしていた本達は、きれいにジャンル分けされてひとつの本棚に収まり、リビングに小説や雑誌が散乱している…といった光景も見られなくなりました。

そして、次の引越は絶対に楽になると確信しています。

なぜかというと、本は重いから!私のように100冊単位でため込んでいた場合、荷造りが本当に重労働です。

さらに引越業者さんにも迷惑をかけることになります。

次回は本を詰める作業、出して本棚に入れる作業ともに半分以下になる予定なので、今から楽しみになってきています。

【最後に】
大事な本を手放すというのは、私にとってとても勇気のいる行為でした。

ですが、今は不思議なほど後悔はありません。

家が片付いたことが嬉しいのももちろんですが、捨てるときにきちんと選別をしたことが大きかったかなと思います。

断捨離するといっても、何でもかんでもなくせば良いとは私は思いません。

本でも別のものでも、少し時間がかかっても、絶対に必要なものは手もとに残し、不要なものだけを処分する。

この繰り返しができるようになれば、手放すことへの不安や面倒臭さはなくなっていくのではないでしょうか。

28歳女 苦手な人との関係を手放して心晴れやか

私は小さい頃からコミュニケーションが苦手でした。

今も少し苦手です。

人に嫌われることが怖くて、遊ぼうと誘う勇気もなく、無茶なことを言われてもいわゆるNOと言えない性格で、「ちょっと苦手だな…」と思う人とも誘われたら遊んだり喋ったりしていました。

しかし数年前から苦手な人とは距離を置くようにし始めたら、とても気持ちがスッキリとして毎日が楽しくなりました。

きっと長い間、ストレスが溜まっていたのだと思います。

それが一気に爆発して「もういいや」となってしまったんです。

それからは段階を踏んで、苦手な人、苦手な事とは関わらない!と決めて行動していきました。

まずは苦手な人に遊びに誘われても断るようにしました。

最初は3回に1回、2回に1回…とだんだん会う回数を減らし、メールの返信もしないか遅らせて、最終的には連絡先を消しました。

会うと自慢話ばかりをされて帰りは劣等感でいっぱいになっていた親戚との外出も、この機会に初めて断りました。

親しい人だって関係ありません。

たとえば未婚の私がもし結婚していても、パートナーの家族が苦手だと感じたら、お盆と正月以外の連絡は取らないでしょう。

それくらい思いきりました。

最初は「嫌われるかも、影で『あいつはダメなやつだ』と文句を言われているかも」という不安もありましたが、今まで憂うつで仕方がなかった何時間かを自分の好きなことに使えると思うと清々しい気持ちになり、実際に充実した時間を過ごすことができました。

また、そういう思いきったことができた、自分を大事にできた自分を少し好きになれた気がします。

昨今の出来事を考えると、人生はいつ、どんなことが起こってもおかしくありません。

避けられないことはあるにせよ、最期になるべく後悔しないよう、好きな人に会ったりやりたいことをやる時間はたくさん作るべきだと私は思います。

私の場合はプライベートの人間関係であって、仕事の人間関係はそう簡単にはいかないかもしれませんが、「人間関係も仕事と割り切る」「必要最低限のことしか話さない」など出来るかぎり苦手な人を断捨離していきたいものです。

27歳女 失恋時の衣類を処分&趣味を持って手放し成功

うまくいかなかった交際のときによく身に着けていたものをすべて手放しました。

私は20代後半の女性で、半年ほど前に付き合っていた男性が居ました。

しかし、彼とはうまくいかず振られてしまいしばらく立ち直れませんでした。

復縁をしたくて悪い個所を直したり、見た目を改善したりしましたがそれでも駄目でした。

相手が夢に出てきたりするたびに落ち込み、当時よく気に入ってきていた服や持ち歩いていたカバンを見るとより相手との日常を思い出してしんどくなっていました。

ですが、いつまでも落ち込んでいるのは嫌で相手と親密だった期間の衣類や服飾品は捨ててしまおうと思って気付いたらゴミ袋を用意して淡々と捨てていました。

色が濃い袋の中に一緒に出掛けた時に着ていたニットやスカート、会う時にメイクするのに使った化粧品、相手の家に足を運んだ時に着ていた上着やカバン、髪につけていたアクセサリー…をすべて放り込んでゴミの日に出しました。

別れてしばらくはもったいなくて着ていましたが、やはり気分が沈むため処分して物理的に手放しただけでも心が軽くなりました。

身に着けていたもののすべて状態は良いのですが、売りに出すのも億劫でやめました。

金額にすると2万円前後なので、2万円ドブに捨てたようなものです。

それでもすっきりしたので良いですが、金額で考えるとやっぱりもったいなかったかな?とも少し思います。

物理的にすっきりしてからは、足取りが軽くなり今度は考え方のほうの「手放し」を行うことにしました。

元々恋愛をすると相手のことで頭がいっぱいになるタイプだったので、相手と関わらなくても楽しめる趣味を探して意識的に手放せるように工夫を凝らしました。

「恋愛をしていないときの私は何に楽しさを見出していたっけ?」というところから始まり、よく本を読んでいたことを思い出して近くの図書館に足を運びました。

思い出してみれば、恋愛をしている時は私は一切読書をしないのです。

それくらい相手に没頭してしまって距離感を失い重くなってしまうという流れによくなるので「この術を最初から身に着けていたらもっとうまく恋愛できたのかな」「もっと早く身に着けておけば良かった」と後悔しました。

今は再度読書熱が盛んになり新書にハマり、何冊も読んでいくうちに次第に相手に対する気持ちもだんだん薄れていき相手のことを思い出した時に「あぁ、そういえば」というところまで到達しついに意識的にも手放すことが出来たんだなと感じました。

というのも読書でバランスを取ることを覚えたら程よい隙が生まれたのか、すんなり新しい彼氏が出来たからです。

相手に没頭しすぎないので重くならずに自然体で振舞えていたようです。

49歳女 部屋もスッキリ心もスッキリ

40代専業主婦です。

私が手放してスッキリしたのは所有していたブランド服です。

服だけじゃなくスカーフとか靴・バッグに至るまで高級ブランドを次から次へと手放しました。

これからももっともっとそういうものを手放していく予定ですが、ネットフリマを使って徐々に手放しているので焦らずゆっくりと。

昔の私は今と違ってかなり羽振りが良かったんです。

お金に不自由することなく自由に生きていました。

若い頃自分で言うのも変ですがかなり頑張ってお金を蓄えてたんですね。

老後の不安とは無縁になるように若い頃から仕事をバリバリこなしていました。

ある程度蓄えが出来てから財産にもなるだろうと考え高級ブランドを買い求めるように。

誰もが知っている一流ブランドばかり買い求め服もバッグも靴も何から何まで一流ブランドばかり・・・。

当時は価値観がそんな感じでしたし、一旦一流のものを着てしまうと二流三流のものが着られなくなってしまったことからそれが当たり前になっていました。

その生活に満足していた私が今そういうものを徐々に手放しています。

溜りすぎても良いことないなと思ったし、それに十年以上前のものはたとえ一流ブランドであってもそれなりに劣化します。

服だってバッグだって使っていなくても自宅保管してるだけで虫に食われて穴が開いたり革の質が変化します。

そうなってしまったものでも一流ブランドは高く売れるんです。

ブランドネームがあれば腐ってもブランド。

さすがとしか言いようがありません。

傷みすぎない前にまだまだ使ってもらえる状態のうちにネットフリマに出品。

するとあっという間に買い手が付きます。

こうやってブランドものを手放すと家の中がスッキリしますがそれと共に自分の心もスッキリするんです。

部屋が広く使えるようになるだけで不要な物がお金に替わるだけでもスッキリするのに、ものが減っていくことで心がどんどん軽く体まで軽く感じるのだから手放すことをやめられません。

46歳女 過去の洋服を手放し、すっきりしました

40代の主婦です。

30代で子どもを二人出産を経験しました。

一人目の出産では、体型がそんなに変わる事がなかったのですが、窮屈な洋服を着る事に苦になるようになりました。

出産前に買った洋服はきていましたが、もともと窮屈というか、タイト目の洋服を着る事が減りました。

二人目の出産では、体重は元に戻りましたが、体型が変わったようで、以前に買った洋服の中で、窮屈に感じる洋服が増えました。

しかし、いつか着れるようになるかもしれない、とスタンダードな洋服やフォーマルな洋服を捨てる事が出来ませんでした。

子どもが大きくなると、そういった類の洋服は、季節行事に合わせて活躍します。

そんな中、私は、この洋服たちを放置したまま、自分の体型に何の手立てをする事もなく、また、一年が経ってしまった、と四季に触れながら思うようになりました。

自分でも何とか処分した方がいいとは分かっていながら、いつか着る事が来るかもと、その思いを流しながら過ごしました。

クローゼットを見なければ、そういった気持ちにはならないので、流していましたが、逆に言うと、クローゼットを見るたびに、引っかかりはありました。

ものをたくさん身近に置いておく、という事が好きではなかったので、自分のクローゼットに爽快感を感じていない自分がいました。

子どもは、すぐに大きくなるので、洋服など、どんどん回していきます。

綺麗なものは、人にあげたり、着古したものは、雑巾にしたりしました。

そういう事をしているうちに、自分の洋服もそうしよう、と思い、綺麗な洋服はオークションに出し、それには至らない洋服は、細かく分解して、雑巾にしました。

オークションに出した洋服は売れ、そうでない洋服は、部屋を綺麗に掃除してくれた、と勿体無いと思っていた感情を自分なりの解釈に変換でき、すっきりしました。

ものへの思いは、勿体無いという事でしたが、気持ち的には、いつか体型が戻るかも、という思いと、何もしていない自分への無理でしょ、という感情がありました。

それらを処分する事で、色んな気持ちにリセットする事が出来たように思います。

35歳男 青春のビデオテープを全て手放す日

お小遣いを貰い始めた小学校5年生の頃、バラエティ番組の「めちゃモテ」が流行ってました。

めちゃめちゃ面白かったのですが、夜遅くに放送されていたので、親に夜更かししてると怒られるため、ビデオに録りためていきました。

その後、番組名が「めちゃイケ」に変わってからもビデオで録り続け、気が付けば15年も経っていました。

僕の部屋の本棚がめちゃイケのビデオテープで埋め尽くされるほどでした。

この埋め尽くされていく感じが青春の一本、という感じがして、とても光栄に思え、「めちゃイケが放送されてる時代に生まれてきて良かった」と思ってものです。

その頃になるとビデオテープではなく、DVDやHDDに録画するのが主流となっていました。

いつか、ビデオテープも全部デジタル化して、パソコンに取り入れてDVDに焼いて大切に保存しようと考えていました。

そんなある日、長期連休がありめちゃめちゃ暇だったのでビデオテープをパソコンに取り入れる作業をやろう!と思い立って実行しました。

しかし、やり始めて数分で悟りました。

「この数百本あるビデオテープ×2時間=作業時間」になる、と考えた時、長期連休期間内ではとても終われないことに…。

それからしばらくそっとしておいたのですが、悩みに悩んだ結果、その年の暮れに思い切ってビデオテープを全部捨てようと決意しました。

世間では「断捨離」という言葉が流行っていたので、それも後押しになり、90Lのゴミ袋で約30袋、僕の家から全てのビデオテープを出ていきました。

録画がうまくいってなくて、途中から録画を始めた悔しい思い出や、何回も同じ内容を見て笑い転げたことなど、走馬灯のようにめちゃイケを思い出しながら、ビデオテープとさよならしました。

ビデオテープが無くなった我が家は、何かを失った、というより、また何かを受け入れたくなるような、そんな心と場所の余裕ができてめちゃめちゃスッキリしたような気分になりました。

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